『火垂るの墓』で母親が「カルピスも冷えてるよ」と呼びかける

【星野】カルピス世代の思い出で言えば、昔カルピスの瓶はシワシワッとした包装紙に包まれていたんです。あの質感はいまでも指先に残っています。

【山川】実は、今回の本の表紙はカルピスの包装紙を模した紙を使っているんですよ。

【星野】そうだったんですね。問題はその紙。うちはカルピスを冷蔵庫に入れず、棚に置いていました。朝起きると包装紙にプチプチと小さな穴が開いている。夜、その包装紙に染みたカルピスの原液をゴキブリがなめにきていたんです。「許せん、私の大事なカルピスを!」って怒っていた記憶があります。いつも飲もうとすると親に「それじゃ濃い」とか言われて自由に飲めない。カルピスの濃度は親によって管理されていたんです。それをゴキブリがなめているわけですからね。そりゃ、怒りますよ。

【山川】ぼくが子どものころにカルピスが特別な飲み物じゃなくなっていたせいか、そこまでカルピスに対してアツい思いはなかったですね。小学5年生のときに母と観に行った『火垂るの墓』です。回想シーンで、元気だったお母さんが砂浜で遊ぶ兄妹に「カルピスも冷えてるよ」と呼びかける。あれを見て、戦争中もカルピスがあって、自分と同世代の少年も飲んでいたんだな、と思った。それはカルピスのルーツを追う大きな動機となりましたが、星野さんのような直接的な記憶じゃない。

【星野】カルピスが好きな私を見かねた母親が「そんなにカルピスが飲みたいのか」と手作りカルピスを作ってくれました。すでに貧しい時代ではなかったですが、まだ母親たちは子どもに商品を買え与えることを好まず、自分たちでなんでも作るという風潮が残っていたんです。

「マイカルピス」を作るのがブームになっていた

【山川】お母様はカルピスをどうやって作ったんですか?

【星野】まず薬局で乳酸菌を手に入れてくる。次に大きな鍋で牛乳をゆっくりとかき混ぜながら煮る。その後に乳酸菌を入れるんですが、このタイミングがポイントで、牛乳を煮立ててしまうと分離してしまう。それを瓶に入れ替えて飲んでいました。いわば、マイカルピスです。

【山川】マイカルピスの味はどうでしたか?

【星野】めちゃくちゃ濃厚でおいしかったです。あの味はオリジナル以上ですよ。母は私の同級生のお母さんに聞いたと話していました。想像すると、当時、カルピスを飲みたいという子どもが大勢いて、それぞれの家庭で、マイカルピスを作るのがブームになっていたんじゃないかと思います。マイカルピスは、濃い目にしても親は何も言わないから心おきなく飲めた。カルピス飲み放題で幸せでした(笑)。

【山川】マイカルピスではないですけど、市販のカルピス(原液)も好みで濃さを変えられるのがいいですよね。内モンゴルで三島の面倒を見たモンゴル貴族の末裔を捜し当てたんです。彼に濃い目のカルピスを作った。でも遊牧民は水で割ったカルピスは物足りないらしく、原液を口に含んで「いい酸味だ」と話していました。

【星野】その味に私たちの世代は脳の中枢を支配されている気がするんです。

【山川】支配されてしまいましたか(苦笑)。

【星野】ふだんはみんな普通に暮らしているけど「カルピス」と聞いたら飲まずにはいられなくなる。カルピスに覚醒せよ、と。

【山川】星野さんがそんなにもカルピスを愛しているとは思いませんでした。

【星野】私も山川さんの本を読むまで自分がこんなにカルピスが好きだとは思いませんでした(笑)。びっくりです。

【山川】それは本当によかったです。発売から100年もたったのにこんなにもカルピスを愛している人がいる。三島もきっと喜んでいるでしょうね。

山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に、『捕るか護るか? クジラの問題』(技術評論社)、『東北魂 ぼくの震災救援取材日記』(東海教育研究所)、『それでも彼女は生きていく3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)など。Twitter:@toru52521
星野博美(ほしの・ひろみ)
ノンフィクション作家
1966年、東京生まれ。著書に『謝々! チャイニーズ』『転がる香港に苔は生えない』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『のりたまと煙突』(以上、文春文庫)、『迷子の自由』(朝日新聞出版)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『コンニャク屋漂流記』(文春文庫。読売文学賞、いける本大賞)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『みんな彗星を見ていた──私的キリシタン探訪記』(文藝春秋)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)ほか。Twitter:@h2ropon
(撮影=山川徹)
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