ロシアのナショナリストたちの「聖人」

超大国アメリカを手玉に取るロシアのプーチン大統領が、おそらくお手本としているであろう人物がいます。19世紀末のロシア皇帝、アレクサンドル3世です。

「ロシアには友人はいない。2人の同盟者だけがおり、それはロシアの陸軍と海軍である」。アレクサンドル3世の言葉です。プーチン大統領はこの皇帝を称賛し、クリミアに銅像を建立し、台座にこの言葉を刻みました。

2014年のウクライナ騒乱において、ロシアは火事場泥棒のごとくクリミアに進出しました。クリミアはもともと旧ソ連の一部でしたが、ソ連崩壊後、独立したウクライナに編入されていました。ウクライナ騒乱でロシア系住民の独立機運が高まったのを機に、プーチン大統領は軍を送り込んで住民投票を実施し、クリミアをロシアに編入しました。

そして、このクリミアの地にアレクサンドル3世の像を建てたわけですが、これには重要な意味があります。歴代のロシア皇帝の中で、アレクサンドル3世は決して有名な人物とはいえません。父のアレクサンドル2世は農奴解放令を発布した皇帝として有名ですが、アレクサンドル3世の方は、日本の教科書や概説書でもほとんど扱われません。

しかし、保守派のロシア人にとって、特にプーチン大統領のように「かつてのロシア帝国の栄光を取り戻す」という信念を持った政治家にとって、アレクサンドル3世は「聖人」のような存在なのです。

自ら志願してロシア・トルコ戦争に従軍

アレクサンドル3世は、祖父のニコライ1世を尊敬していました。ニコライ1世は黒海に突き出たクリミア半島を要塞(ようさい)化し、ここを拠点にロシア海軍を黒海に展開させていました。ロシアは黒海からバルカン半島に対し、大きな影響力を及ぼしました。ニコライ1世は海軍を黒海から地中海へ、さらには大西洋からインド洋へ進出するための世界戦略(南下政策)を描いていました。

しかし、イギリスがこれに反発し、クリミア戦争(1853~56年)が勃発します。装備や編成の近代化が遅れていたロシア軍は次第に劣勢に陥り、ニコライ1世は戦争の途中、1855年3月に病死します(死因は風邪をこじらせての肺炎ですが、自殺説もあります)。