小学校では教室に入れなくて、保健室に登校

【田原】小学校では教室に入れなくて、保健室に登校をしていたそうですね。

【山内】学校に行くのが怖かったんです。小学校に入ると、とにかく遊んでいればよかった幼稚園のころとは違って、何もかも新しくなるじゃないですか。その環境に馴染めなくて、登校はするけど保健室に直行でした。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】どうやって乗り切ったの?

【山内】パソコンに出合ったおかげです。学校で認められなくても、自分のやりたいことにのめり込んでいたら、自信がつくんでしょうね。3年生のころには学校に行くのが楽になって、教室で授業を受けるようになっていました。

【田原】プログラミングは何歳くらいから?

【山内】9歳です。そのころ自分で1枚ずつ写真を撮ってつなげるコマ撮りアニメをつくるのが好きだったんです。その関連本を図書館で読んでいたら、隣の本棚にプログラミングの本があって、これもおもしろそうだなと。そのころはC言語で、おみくじのアプリをつくったり、パソコンを二重にロックするプログラムを書いたりしていました。

【田原】6年生のときにプログラミングの国際コンテストで最優秀賞を獲られる。何をつくったのですか。

【山内】「Ruby」という日本で生まれたプログラミング言語があるのですが、その言語を使った15歳以下のコンテストで、タスク管理アプリをつくりました。どういう宿題があって、いつ何を学校に持っていかなきゃいけないのか。そういったものをぜんぶ管理する統合型のアプリです。アプリを使うにはパスワードの入力が必要で、そのパスワードにいまのEメールで使われている暗号化技術を用いた点を評価してもらったみたいです。

【田原】これは賞金が出るの?

【山内】出ません。ただ、パソコンをもらえました。もともとパソコン欲しさに応募したんです。

【田原】いま中高一貫校に通われている。学校はどうやって選んだの?

【山内】プログラミングをずっと続けたかったし、ほかにももっといろんなことをやりたくて、それなら高校受験のない中高一貫校がいいなと。たまたま学校説明会に行ったら先生が楽しそうで、生徒たちもイキイキして見えました。それで入学したのが、いま通っている学校です。