進学したプリンストン大学では公共政治学を学ぶと同時に、トニ・モリスンやポール・オースターなどの現役作家による創作講座に出席していました。奨学金を得てスタンフォード大学のクリエーティブ・ライティング講座へ進み、在学中に(優れた短編に与えられる)O・ヘンリー賞を2回受けましたが、最終的にはハーバード大学ロースクールを出て、投資銀行に就職しました。それが一番お金になったからです(笑)。

家の経済状況は悪かったし、兄の介護にとにかくお金がかかっていました。障害の原因となったプール事故の和解金は受け取っていましたが、それもいずれは尽きるという危機感が常にありました。もうひとつは、自信の問題です。もしお金をたくさん稼ぐことができたら、自分がダメなやつじゃないと思えるかもしれないでしょう? 難しい環境に育った若者にはありがちなことですが。

投資銀行ではフィナンシャル・アドバイザーとして、企業のM&A案件などを担当していました。顧客に指名されることもよくあり、まずまずいい仕事ができていたのではないかと思います。いい小説を書くためにすることと、いい顧客対応との間には共通点があるのかもしれません。相手の夢や好み、何に執着しているかをきちんとくみ取り、理解して、適切に対応する。人物描写にも通じる話です。

逆にロースクールや投資銀行で学んだのは、「自分が信じていることと、現実に起きていることは別だ」という世界のとらえ方です。「これが当たり前だ」といわれていることと、例えば現実の相場の値動きとはほとんど関係がない。その感覚は、『ファミリー・ライフ』の構成にも反映されています。多くの小説は因果関係の中でプロットをつくっていきますが、『ファミリー・ライフ』では物事は「理由なくただ起きる」んです。現実の世界と同じように。

ただ、年間70万ドルの報酬をもらっていても、自分が投資銀行での仕事に向いていると思ったことは1度もありませんでした。結局、数年で辞め、再び小説を書き始めました。