「フェルマーの最終定理」も独学から生まれた

学者では、数学に独学者が多くいます。実験器具などが必要なく、座学でできるからでしょう。

野口悠紀雄(著)『「超」独学法 AI時代の新しい働き方へ』(KADOKAWA)

最も有名な「素人数学者」は、ピエール・ド・フェルマー(1607年-1665年)です。フランスのトゥールーズで弁護士の資格を取得し、そこで法律家として一生を過ごしました。仕事のかたわら数学を独学で学び、一人で研究を続けて、確率論の基礎を作り、解析幾何学を創設しました。「フェルマーの最終定理」と呼ばれるようになった有名な命題は、彼が書き残してから360年後に証明されるまで、誰一人として証明も否定も成功せず、数学の最難問の一つであり続けました。

フェルマーが数学に目覚めたきっかけは、古代ギリシャの数学書、ディオファントスの『算術』に出会ったことだとされます。それから、趣味として数学の研究を始めました。フェルマーの最終定理も、この書物の欄外に、さまざまな書き込みとともに残されたものでした。

エジソンもゲーテも「独学派」だった

発明家にも独学者は多くいます。最も有名なのはトーマス・エジソン(1847年-1931年)でしょう。生涯に蓄音機、電気鉄道、鉱石分離装置、白熱電球、活動写真等々、2332件もの特許を取得しました。

エジソンは小学校に入学しましたが、教師と騒動を起こして、3カ月で中退してしまいました。このため正規の教育を受けられず、図書館などで独学しました。新聞の売り子として働いて得たわずかな金をため、自分の実験室を作りました。16歳の頃には電信技師として働くようになり、さまざまな科学雑誌を読んで学び続けました。その原動力となったのは「知りたい」という欲求だったのです。

芸術の世界にも、独学で大きな功績を残した人は多くいます。

ワイマール公国の枢密顧問官だったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年-1832年)や、日本の陸軍軍医だった森鴎外(1862年-1922年)は、文学者としては独学でした。チリ出身で、20世紀を代表するピアノの巨匠と呼ばれるクラウディオ・アラウ(1903年-1991年)も、ピアノを独学で学び、5歳で最初のリサイタルを開いています。美術の世界ではアンリ・ルソー(1844年-1910年)が有名です。法律事務所で働き、軍役を経て、パリ市の税関職員になりましたが、仕事の合間に絵を描いていました。