筆者が「この男は“またやる”と確信した」2つの理由

では、周囲の人は何を根拠に「信用できる」「信用できない」を判断するのか。この事件から考えてみたい。

被告人に対して、僕が「また失敗しかねない」と感じた理由は、(1)罪についての分析の浅さ、(2)決意表明した内容の中途半端さからである。

(1)罪についての分析の浅さ

事件の動機について、被告人はつきあっていた彼女に距離を置かれたストレスに、外飲みが加わり、後先を考えずに胸を触ってしまったと悔やんでみせた。だが、考えるべき点は他にもあるのだ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

公判で被告人は飲みに出かけた理由を「あの日はうれしいことがあった」と述べている。じつはこの日、前回の事件で自宅待機中だった勤め先の上司から、復帰をにおわせる連絡が入ったという。交際相手からは冷たくされていたけれど、会社は被告人の反省ぶりを信じ、チャンスを与えようとしていたのである。つまり被告人は、人生でもっともおとなしくしていなければならないとき、目先の欲望に負けて、信用してくれた会社や上司を裏切ったことになる。

抑止効果があったかもしれないのに、欲望のまま行動したらどうなるのかという想像力が働かなかったなら、それこそが問題だ。想像力が働いていたのにやってしまったのだとしたら「捕まらなければいい」と思っていたことになり、さらにタチが悪い。

でも、公判で被告人は上司から連絡があったことに一切触れなかった。自己分析ができなければ、また過ちを犯す可能性が高くなる。

(2)決意表明した内容の中途半端さ

被告人はアルコール依存症ではない。また、シラフのときに女性を襲ったことはない。ここから導き出される再犯防止の答えは「酒をやめる」ことである。都会での生活を捨てて実家に戻るなら、禁酒宣言して覚悟を示すべきだった。性欲に関してももっと真剣に考え、現実的な手段で自分と戦う姿勢を見せてほしかった。

それなのに被告人は「外飲みをやめる」だけで済まそうとしている。家で飲めば、外で飲むときのように女性を見かけてムラムラする機会がなくなると言いたいのだろうが、飲んで気が大きくなって外へ出かければ同じこと。例えば、「コンビニまで買い物に行くだけだ」と言いはる息子を親が止めるとは思えない。

また女性の胸を触って捕まったら被告人は「親が止めてくれるものと思っていた」と責任転換するのではないか。抑えの効かない自分を「病気かもしれない」と疑う発言が出なかったことも、認識の甘さをうかがわせる。

僕の考え方は意地が悪いのかもしれない。もちろん、被告人には立ち直れる可能性があるし、そうなることを願う。

しかし、ミスを重ねた人を見る周囲の目はどうしても厳しくなりがちだ。厳しい視線を、あたたかく見守る視線に変えるためには、ミスの原因を精査し、適切な対策を採ることが大切になる。

それでもまた失敗することがあるだろう。そうしたら、また精査と対策をし直せばいい。実力不足を思い知らされることはあっても、ミスを進歩に結びつけることができれば、信用はなんとかキープしていける。

上司や同僚がサジを投げるのは、失敗の多い社員ではない。失敗から何も学ばない社員なのだ。