なぜ遅刻すると必死に弁明・弁解しようとするのか
人付き合いにおいても、円滑なビジネスマン生活を保つためにも、「言い訳」の作法を守るのは重要なことだ。言い訳については以前にも2回書いているが(※)、新入社員がデビューする時期でもあるので、再度取り上げてみたい。
※「なぜ、ビジネスマンは法廷で野々村被告レベルの言い訳を連発するか?」、「253万ネコババ"窓際係長"言い訳の屁理屈」
遅刻したときに、こんな言い訳(弁解・弁明)をする人がいる。
「いつもより駅の構内が混んでいて、スムーズな乗り換えができなかった」
「目覚まし時計が鳴らなかった」
言われるほうにしてみればどうでもいいことだ。自分に対する評価を下げる行為であることは本人もわかっている。でも、なぜかガマンができず、言い訳をしたくなる。
「人身事故が発生して電車が止まってしまった」
これなら遅れた理由になっているから理解されるかもしれない。でも「目覚まし時計が鳴らなかった」はダメだ。これが許されるなら、なんだってアリになってしまう。出掛けに子どもがグズった。出かけるついでにゴミ捨てしようと思ったら場所が変わっていて探すのに苦労した。定期入れを忘れて家まで戻った……。それで済むならタイムカードなんかいらない。
▼「私の事情をわかってください」という心理
では、人はどうして言い訳せずにいられないのか。
日本では幼い頃から「嘘をつくのはよくない」「約束を破ってはならない」「時間を守るのが人としてのマナーだ」と教育される。いずれも正論なので、そういうものかと思って育つ。約束の時間に遅れたら何はさておき「ごめんなさい」と謝る文化なのである。遅れても謝らない人は「エラソー」「ふてぶてしい」と受け取られる。
まっとうな理由があろうとも、相手を待たせたり、約束を果たせなかったりする場合にはひたすら謝る。それがもっとも無難な対処法だからそうするのだが、心のどこかに「でもさ……」という気持ちがあるときは、意味がないと知りつつ、相手にそれを伝えたくなるのだ。
言いたいことはひとつ。「わざとじゃないのです」。相手に対し「私の事情をわかってください」とお願いするわけである。