“遅刻の弁明”をするればするほど小者臭くなる

相手が友人なら、笑って許してくれる確率は高い。親しい同僚や恋人も大丈夫だろう。しかし、上司や部下、取引先などが相手のときは、謝罪のみとし、言い訳はガマンするに限る。距離感のある相手に対する言い訳は、見苦しく思われたり、自己保身丸出しの態度に見られたりしがちで、あなたが決して望まないであろう“小物感”を相手に与えてしまう。

だが、謝罪後に沈黙を保つことは意外に難しく、聞かれてもいないのに弁解がましくしゃべってしまいう人が多い。上司に頼まれた仕事があり、放っておいたら「まだか」と急かされた。「すみません」の後、つい口が滑る。

「いまやっている仕事が片付き次第やるつもりでした」

そんなことを言っても上司は怒るだけだ。とっさの反応には人間性が出やすいので、ダメな部下の烙印を押されかねない。

▼罪を認めつつ言い訳ばかりする被告人の目的

裁判でも同じことが言える。

写真はイメージです(写真=iStock.com/Yuri_Arcurs)

裁判傍聴していると、罪を認めているのに、被告人質問で言い訳ばかりする被告人が多いことに気づく。少しでも軽い刑にしたいという願いから、くどくど弁解をするのだろうが、しゃべっているうちに興奮してくるのか、まるで悲劇のヒーローみたいな発言になってくることさえある。

こうなると逆効果。反省度合いに疑問符が付けられ、裁判長の心証も悪くなる。言い訳の上手下手で量刑が変わることはないだろうが、裁判は人が人を裁くもの。ときにはマイナスに働くこともあるだろう。

容疑を否認し、無罪を主張する事件では、検察の証拠を突き崩せるかどうかが判決の分かれ目となる。筋の通った説明をして「だから私はやっていない」と主張することが、検察と渡り合うための前提条件。この場合、緊迫感のあるやりとりが期待できる。

でも現実には、そういう裁判に出会えることはまれ。証拠がそろい素人目にも「間違いなくやっている」と思うような事件で、無罪を主張する被告人のほうが断然多い。こうなるともう、弁明は屁理屈を積み重ねたものになる。

ストーカー容疑で捕まった被告人が「単なる愛情表現」と言い張る行為が、相手の勤務先への誹謗中傷ファクスの山だったりするのだ。チカンの被告人が「悪いのは私じゃなくて、おしりを触りたがる手だから無罪」と言って譲らず、そんな言い方もあるのかと驚かされたこともある。