「セクハラは到底許されない」と読売

全国紙の中で最後だったが、安倍政権を擁護することが多い読売新聞も社説のテーマに取り上げた。

4月20日付の読売社説は「問われる人権配慮と報道倫理」と見出しを立て、福田氏や財務省の姿勢を問題にする他社の社説とは少々違う。

書き出しは「主要官庁の次官が、セクハラ疑惑で職責を果たせなくなっている。辞任しか選択の余地はなかったと言えよう」と割と静かだが、社説中盤では「セクハラは重大な人権侵害である。事実とすれば、到底許される行為ではない」と言い切っている。

読売社説は「福田氏は記事の内容を一貫して否定している。名誉毀損で新潮社を訴える姿勢も示した。これに対し、テレビ朝日は、自社の女性記者が福田氏からセクハラ被害を受けていた、と発表した」と書き、「福田氏があくまで否定するのであれば、司法に事実認定を委ねるしかないのではないか」と主張する。

この後も含め、読売社説の指摘や主張は朝日や毎日、産経などの社説と変わらず、理解できる。問題なのは後半部分である。

報道倫理で判断する読売は大きな間違いだ

「取材で得た情報は、自社の報道に使うのが大原則だ。データを外部に提供した記者の行為は報道倫理上、許されない」

こう書いて読売社説は音声データを週刊新潮に提供したテレビ朝日の女性記者を批判する。

しかし女性記者にとって録音やそれを外部に出した行為は、自分自身を守る唯一の方法だったと思う。あくまでも彼女は被害者なのだ。そこを忘れてはならない。読売社説のように報道倫理の観点から彼女の行為を判断するのは大きな間違いである。

続けて読売社説は「取材対象者は、記者が属する媒体で報道されるとの前提で応じている。メディアが築いてきた信頼関係が損なわれかねない」とも書くが、これもおかしい。彼女の場合、セクハラの被害という特殊なケースである。しかも上司に「この問題を報じたい」と申し出ていたという重大な事実を無視している。

読売社説は最後に「テレビ朝日の対応も看過できない。最初に被害の訴えを受けた際、会社として財務省に抗議などをすべきではなかったか」と書き、「記者を守り、報道のルールを順守させる姿勢を欠いていた、と言わざるを得ない」と指摘しているが、ここは納得できる。

テレビ朝日は女性記者から相談を受けた時点で早く対応し、自社で報じるべきだったと思う。

(写真=時事通信フォト)
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