養老律令の時代からあった

ところで、定年制はいつ頃からあるのだろうか。

歴史を遡ると、養老律令(757年)にこんな記述がある。

凡そ官人年七十以上にして、致仕聴す。
(『日本思想大系3 律令』岩波書店 1976年)

「致仕」とは辞職のこと。当時は70歳で辞職したということなのだが、あくまで「聴(ゆる)す」。辞職は任意で、クビになったわけではない。クビという観点からすると、定年は江戸時代の大奥で始まったらしいのである。

江戸風俗研究家の三田村鳶魚によると、大奥には「おしとね御斷り」という制度があった。30歳になると出産が難しくなるので、殿様の相手を辞退する。「若しそれをしなければ、表好であるとか、好女であるとかいふことで惡く云はれる。お妾にしたところが、その停年期に逹して猶勤續してゐることは、仲間内がなかなか面倒」(三田村玄龍著『江戸の女』早稻田大學出版部 昭和9年)になるから。つまり年齢差別は女性差別から始まっているのだ。

おかしいではないか。

私などはそう訴えたくなるのだが、それよりおかしいのは、「おかしい」と感じている人があまりいないことである。労働組合などが反対してもよさそうだが、歴史を遡ると組合側が「雇用保障」のために定年制を要求していたりする。世間でも定年制自体は議論になっていないし、誰に話しても「しょうがないんじゃないの」「そういうものなんだから」「だって定年なんだから」という答えが返ってくる。「定年」だから定年、というわけで、どうやら「定年」は公的な制度というより日本に根づいた慣習、いや超法規的な風習に思えてくるのである。

定年は「学校と同じ」なのか

「学校と同じですよ」

さらりと解説してくれたのは斉藤和夫さん(55歳)だった。彼は都内のホテルに勤務する会社員。5年後、正確にいえば5年後の誕生日の月末に定年退職することになっている。

――学校なんですか?

私が訊き返すと、彼はすらすらと語った。

「小学校は6年、中学・高校はそれぞれ3年で、大学は4年。それで会社は60歳まで。『なんで小学校は6年なんだ?』と思う人はいないでしょ。それと同じで会社も60までなんです。そういうふうに体に染みついているんですよ」

小学校からすでに始まっている「定年」。会社を3年で辞めてしまった私などはさしずめ中退者ということなのだろうか。