創業の苦心は継承することはできない
天下人の徳川家康は、岡崎の小城主の子として生まれ、幼いときから人質に出されるなど、生き残りの苦労を味わいながら育った。そんななかで学問を身につける余裕もなく、成長してからも戦いに明け暮れる日々で、何かを学ぶ時間などなかった。
晩年に近くなり天下取りの視界が開けてきてから、家康は儒学者の藤原惺窩(せいか)を招いて『貞観政要』の教授を受け、さらに後には惺窩の弟子の林羅山を江戸に招いて、儒学の習得に努めている。おそらく家康も、「馬上では天下を治められない」ことがよくわかっていたのだろう。そこで、みずから儒学を修めることで、「文治」への転換をはかろうとしたのだ。徳川の治世が270年も続いたのは、この転換に成功したことも大きな要因の1つと考えられる。
『貞観政要』には、彼らが守成の時代をどう乗り越えていったのか、その苦心がまとめられている。創業も難しいが守成も難しいもの。ただ、創業の苦心は理解することはできても継承することはできない。
イトーヨーカ堂グループの創業者の伊藤雅俊は、世襲問題に触れて、「成功した創業者というのは『狂気の人』であり、他人と同じことをしていては成功しない。違うやり方だったからこそ成功したが、その経営手法は血を分けた子供であろうと、語り継げても受け継ぐことはできない」と発言している。
これに対し、守成の心得はその気になればいくらでも学習可能だ。その守成の仕事に生きがいを見出し、自分の人生を賭けていたのが、魏徴という重臣だった。
唐の太宗の時代にどれだけの人材が輩出し、彼らが安寧の時代を築くためにどれだけの努力をしたのか。その姿は現代のビジネスパーソンにも共通するテーマを多く含んでいる。まさに「歴史から学ぶ」という言葉を実感せずにはいられない。