創業から守成への切り替えが鍵

たとえ創業に成功しても、成功体験にとらわれて守成への切り替えを怠ると、その組織はいずれ衰亡していく。どう切り替えていくかが生き残りの鍵となる。

『貞観政要』が愛読書であるトヨタ自動車社長、会長を務めた張富士夫氏(現相談役)はこう語る。

「組織の上に行けば行くほど、現場のまともな情報が入ってこなくなるという現象は、いつの時代にもあるようだ。裸の王様ではないが、歪んだ情報ではなく、正確な情報を自分のもとに還流させることをリーダーは常に心掛けなければならない。(中略)課長でもそうなのだから、部長になり、役員になればもっと現場の真実から遠ざかってしまう。頻繁に自分から現場を見に行かなければならない。『まず現場を見ろ』という大野さんや鈴村さんの教えは、後になっても噛み締めることが多い。『貞観政要』に描かれている明君と名家臣たちの関係からも、トップが現場を掌握するために何をすべきかをいま一度学んだように思う」(『プレジデント』2006年9月18日号インタビューより)

劉邦はもともと名もない農民の家に生まれ、ほとんど無学無教養だったが、皇帝ともなるとそうはいかない。そこで教育役として陸賈(りくか)という重臣が選ばれた。もともと学問に興味のない劉邦はすぐに嫌気を起こし、自分は「馬上で天下を取った」のだと怒鳴りつけたそうだ。対して陸賈は「陛下は馬上で天下をお取りになりました。だが天下は馬上では治められませんぞ」と反論した。その言葉に道理があると認めるや、劉邦は怒りを抑え、以後、引き続き帝王学についての教育を受けた。

テキストに使われたのは、『詩経(しきょう)』と『書経(しょきょう)』の2冊だった。古代中国の詩歌集『詩経』は、表現力を高めることにつながり、もう1冊の『書経』は、古代の帝王と補佐役たちの間で交わされた政治についての問答や彼らの事績をまとめた古典。国を安泰にして滅亡を免れるための政治の勘所が、さまざまな角度から説き明かされているまさに政治学の教科書である。

劉邦の漢王朝はようやく創業が成って、守成の時期に移行しようとする時期だったことから、『書経』は学ぶべき帝王学として打ってつけの内容だった。