今くるよや村上が言うように、これまでは女芸人の出る枠が限られ、活躍の機会が少なかったことを考えたら、「女芸人」というくくりの大会ができただけでも、現時点では意義があるといえるだろう。それゆえ、今後も議論を重ねて改善しながら続くことを願っている。同時に、賞レースに限らず、「女芸人」でくくって過剰にステレオタイプな役割を担わせるテレビ的演出も、変化していくべきなのではないだろうか。

これは男の芸人にもあてはまるが、パワハラを感じさせるようなコミュニケーションや、身体的な特徴をいじったり、誰かをおとしめたりする笑いから脱却しようとする動きはある。ただ、女芸人がテレビに出ると、「ブス」といじることが笑いの世界の“優しさ”であると勘違いしたやりとりがまだあったり、女芸人同士のモテ・非モテや美醜での序列を見せたがったりする演出もある。なかには、そうしたこれまでのあしき風習を真面目に内面化してしまい、すすんで自虐したり、律義に序列バトルに乗っかったりする役目にはまりがちな女芸人もいる。

「いじり=愛」を内面化する必要はない

11月29日放送の『1周回って知らない話 旬の女芸人&大物俳優は謎だらけSP』(日本テレビ系)で、尼神インターの誠子がにゃんこスターのアンゴラ村長に「『かわいい芸人出てきた』みたいに言われてますけど、あんた、そないやで」と仕掛けたのに対し、アンゴラ村長が「顔とか生まれとか、変えられないものをさげすむのはちょっとなんか古い」と流したことがツイッターで話題になった。その反応の多くは、アンゴラ村長の意見に賛同するものだった。おとしめあいや、誰かを傷つけてとる笑いを視聴者が求めなくなりつつあるのは、2017年に起こった数々の「炎上」を見ても明らかではないだろうか。

女芸人も、「いじってくれるのは芸人としての愛情」と思いこんだり、その場の空気に応じて求められるがままに同性間でバトルをしかけたり、身体的な特徴を自虐的に扱ったり、そんなことをしなくてもよい時代が、独自のお笑いを追及していく時期が来たのではないだろうか。

2月11日放送の『ゴッドタン』(テレビ東京、「腐り芸人セラピー後編」)では、若手女芸人のAマッソ・加納愛子が「面白いと思われたいのに、番組アンケートが全部『彼氏いますか』『つきあった人数何人ですか』とかしかない」「イケメンがスタジオに来たときに『キャー!』っていう役割しか求められてない」「デブとブスしか求められてないんですよ、結局」と不満を語っていた。

今まで女芸人のこうしたいじり方は、悪い意味であまりにも自然に行われすぎて、テレビで議論になることすらなかったが、加納のような意見が出てきたことも、女芸人のあり方が変化していっている象徴のように思えた。渡辺直美のポジティブで堂々とした芸や、『THE W』で圧勝したゆりやんレトリィバァのように独自性のあるネタを見ていると、女芸人の世界はもっと広がりを見せると思うのである。

西森 路代(にしもり・みちよ)
フリーライター
1972年、愛媛県生まれ。アジア系エンタメや女性と消費に関するテーマなどを執筆。著書に『Kポップがアジアを制覇する』(原書房)、『女子会2.0』(共著/NHK出版)など。
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