新社長の方針を受け、個々の事業の収益性を判断するデータを、次々に出す。事業ごとの収益分析は、いち早く始め、できていた。首脳陣の会議に提出するほか、縮小や撤退に該当する事業部門にも説明した。「やらなければならない」と納得してもらい、仕事がなくなる生産や営業の現場を、説得してもらうためだ。説明を重ねていくうちに、どれを撤退すべきかの議論に、自然に加わっていく。ただ、意見を求められても、「撤退しなければ、会社が大変です」と脅すようなことは、言わない。柔らかい言葉で説明し、採るべき手順を理解してもらい、火種を1つずつ消していくのが楢原流だ。

新社長は、就任翌日から4年間に、8つの工場の閉鎖を労組に提示した。すべて、天然繊維の工場だ。閉鎖すれば、多数の従業員の配置転換や早期退職者への退職金の上積みなど、費用がかさむ。決算で特別損失(特損)として処理するが、巨額になれば、財務の負担力を超える。それで経営破綻に追い込まれては、元も子もない。その舵取り役も、務めた。

合法的な範囲で、できる決算処理は何でもやった。利益の出る保有株式は売り、本社ビルや社宅も売却し、赤字にはなっても配当はできる範囲の決算を、続けた。ともかく、赤字の原因を次々になくし、これ以上の先送りだけは断固やらない、との決意だった。

その結果、2002年3月期の決算で、380億円の特損を計上した。時価会計による株式の評価損は300億円規模で、繊維事業の構造改革費は39億円。一方、本社ビルなど固定資産の売却益は73億円で、有利子負債は2年前から216億円減らす。最終損益は、133億円の赤字となった。決算を発表したときは45歳。この間に、管理部の決算グループマネジャー兼計画・管理グループマネジャーになっていた。

翌年の決算でも多額の特損を出し、04年3月期も工場の閉鎖などで特損が続いたが、固定資産の売却益や有価証券の売却益などをかき集め、最終黒字へ転じた。有利子負債もさらに減り、ついに財務危機を脱出する。四半世紀を超える課題だった「脱・繊維」が、実現した。

「欲湯之滄、不如絶薪去火」(湯を滄めんことを欲すれば、薪を絶ちて火を去るに如かず)――湯の沸騰を止めたいと思えば、湯や釜をどうこうするのではなく、薪を捨てて火を消すのがよいとの意味だ。中国の古典『漢書』にある言葉で、何事にも採るべき方法があると説き、赤字事業を1つずつ消していくことで会社を安定化させた楢原流は、この教えと重なる。