「安楽死という認識はない」

翌日の月曜午前、仕事中にぜんそくが悪化した。午後には、重積発作(呼吸困難が継続)を起こし、心肺停止状態となって病院に運び込まれた。心肺蘇生が行われたが、低酸素血症で大脳と脳幹に障害が残り、昏睡状態に陥った。以後、痰を吸引するための気管内チューブを装着された土井は、植物状態だった。

事件当日午後、土井の容態が急変。駆けつけた家族11人が見守る中、須田は、既に相談を受けていた延命措置の中止のため、気管内チューブを抜いた。

しかし、患者が上体をのけぞらせてもがき出すという想定外の反応を見せたため、鎮静剤「ドルミカム」3アンプルを静脈注射した。その後も苦悶が収まらず、同僚医師の助言により筋弛緩剤「ミオブロック」投与を決定した。須田本人が1アンプルを生理食塩水点滴バッグに溶かし、点滴を開始した数分後に土井の呼吸が止まった。

須田は、これらの行為に関して、「鎮静剤使用の延長線上の処置」と語った。後の公判では「安楽死という認識はない」ことを主張している。

彼女はまず(1)気管内チューブを抜き、鎮静剤を投与し、そして(2)筋弛緩剤を投与した。(1)は、消極的安楽死や緩和ケアに該当し、終末期医療で一般的に行われる行為だ。(1)(2)の連続性の上で土井は絶命したのであって、(2)だけをもって、違反行為(積極的安楽死)と見なされることに関して異議を唱えたのである。筋弛緩剤使用に関しても、呼吸筋を弛緩させ、苦しげな表情と喉の力を抜いてあげようと思ったのだと語る。

なぜ最高裁まで争ったか

2016年11月25日、東急東横線大倉山駅から徒歩約10分の住宅地の中にある大倉山診療所へ向かった。自転車で子供を乗せてくる母親や、マスクを着けた学生服姿の高校生、そして老人たちが次々と診療所に出入りして、待合室は患者で溢れていた。

「あ、こちらへどうぞ」

受付の係員に声をかけられた後、須田が私を呼んだ。白衣を着た華奢な女性は、そのままそそくさと診察室に消え、私はその後を追った。中は、ごく普通の診察室で、患者の診察ベッドと医師の机が置かれ、仕切りの向こう側には、看護師たちが、カルテを持って話し合っている様子が窺えた。須田は、オフィスチェアに腰掛け、早口で話し始めた。

「なんかバタバタしていて、ごめんなさいね。メールも返さずになんだか……」

この患者の数を見るだけで、彼女が多忙なのは判断できる。私の取材時間は限られているだろう。ただし、少なくとも、事件の本質的な部分についてだけは、知っておきたかった。