どこで止めたら延命治療の中止になるのか
川崎協同病院事件のお話なんですが……。須田は、私の質問を最後まで聞かず、早口で返答した。仕事が忙しいからなのか、彼女の性格がそうなのか。私は、むしろ後者であると推測した。質問は遮るが、言いたいことは、とことん言う。それが須田セツ子だと思った。
彼女は、「安楽死の認識はない」と断言した上で、治療中止の曖昧さについて語り始めた。
「心肺停止で運ばれてきた患者を心臓マッサージや吸引をさせたりして蘇生を試みるけれど、それだって10分やる人と1時間やる人がいます。どこまで続けるか、手を離した瞬間が死亡時刻になってしまうんです。どこまでやるか、どこで止めたら延命治療の中止になるのか。定義というのは、バラバラなんですよ」
私の祖母が交通事故に遭った時、集中治療室では、心肺蘇生が行われていた。なぜか、駆けつけた身内全員を強引に治療室に入れ、血まみれの祖母のマッサージを無理やり見せつけられた。その後、医師が「もういいですかね?」と言って、蘇生を止め、呼吸器を外した。この一連のやり取りの意味が、今の私には理解できる気がする。
いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか
須田の話を聞いている最中、スイスのプライシックの顔が、突然、浮かんできた。お互いに年齢も近く、同じ女医である。スイスの女医は、末期患者やそうでない患者に対しても、自死を幇助し、私に仕事の意義を堂々と語る。それに対し、須田は、一人の末期患者を楽にしようと、筋弛緩剤を使用したことで「殺人者」となり、時々慎重な言い回しになる。
日本では筋弛緩剤は、手術の麻酔時に気管内挿管を行う際などに、筋肉を緩めるために使用される。従って、それを用いたことで患者が死亡した場合、安楽死が疑われてしまう。京北病院事件でも、筋弛緩剤が使われ、末期患者が死亡した。山中も、「いかに早く患者を穏やかな表情にしてあげられるか」を考え、患者に投与している。
須田は、次の内容をさらりと吐き、殺害の意図などなかったことを主張した。
「宮下さんが見てこられた安楽死、お薬を使ったり注射したりしてストンというようなね、そんなのは日本ではまずはあり得ないでしょう」
確かに、私が見てきた安楽死の薬は、それをコップに入れて飲むか、点滴の中に投与すれば、すぐに死に至る。目の前にいた私は、その即効性に圧倒された。まさに「あっという間」に、末期でない患者もコロリと逝くのだった。