優勝に導いた佐々木監督のリーダーシップ

【三宅】チームプレーの素晴らしさですね。ところで、なでしこジャパンのチームドクターになられた経緯を教えてください。

三宅義和・イーオン社長

【山藤】そうですね、駆け出しの頃はそれこそ無償でも毎週先輩にくっついてスポーツ現場に行っていました。おそらくそのような姿を評価いただき、その後Jリーグのチームドクターを務めたり、各世代の日本代表チームの同行なども依頼されるようになりました。そして、2005年に日本サッカー協会から「なでしこの面倒を見てくれないか」と声をかけられたのが女子は最初です。

【三宅】役割としては、試合中に怪我や故障をした選手の治療をされるのですか。

【山藤】よくテレビ中継で、怪我人が出るとピッチに行き、担架に乗せるシーンが映し出されます。もちろんそれが仕事なのですが、実は、あれ以外にもずっとチームに付き添い、食事やメンタルの管理も任されます。例えば、オリンピックでは40日間くらい、ずっとチームに同行しました。

とはいえ、なでしこに同行するときには毎晩、ミーティング後に、当時の佐々木則夫監督に呼ばれて、話相手をするのも僕の仕事みたいになっていました。「ちょっと聞いてよ……」といったサッカー以外の話にずっと耳を傾けているわけです。これも立派な監督のメンタルサポートと、のりさんには今でも言われていますよ(笑)。

【三宅】今でも、あの感動的ないくつものゴールが目に焼き付いていますが、なでしこジャパンは、2011年、ドイツで行われたFIFA女子ワールドカップで初優勝しました。とにかく、素晴らしい快挙で、東日本大震災で沈みがちだった日本人の多くに勇気を与えてくれました。試合や日常を間近でご覧になっていて、佐々木則夫前監督の采配の凄さや引退された澤穂希選手のリーダーシップについて印象に残っていることはありますか。

【山藤】代表監督は、普通、チームスタッフは自分で決めるものです。ところが、佐々木監督はコーチから監督になった際、空いたヘッドコーチだけ外から連れてきて、その人以外は前のチームのコーチ陣や選手をそのまま引き継いだのです。その当時、僕の目から見ても、決してチームがうまく機能しているとは思えなかったにもかかわらずです。

そこで僕は「のりさん、スタッフは一人も代えなくていいんですか」と正直に聞きました。すると、「あ、いいんだ。俺は一人ひとりに『俺が監督になるけど一緒にそのままやりたいか』と聞いたんだ。イエスと答えたやつは全部残した。そしたら全部残っちゃった(笑)。大丈夫、これで世界一を獲れるから」と言ったんです。

しかも、それまでの代表監督は戦略や作戦を自分がミーティングで話していましたが、のりさんは「じゃ、ゴールキーパー・コーチから守備の話があります」と個々のコーチに全て任せてしまう。そして「それでは最後に」とひと言だけ話すんです。僕はこれでは世界一なんて絶対になれないと心の底で思っていました(笑)。しかし、チームとしては、スタッフ個々の信頼関係も徐々に強くなっていきました。実に自然なんですよね。