「みんなが苦しくなったときも私はずっと走り続ける」
【三宅】そういう姿勢というのは、コーチ陣だけでなくチーム全体に伝わっていくのでしょうね。
【山藤】はい、間違いないですね。澤選手がチームメイトに発した「苦しいときは、私の背中を見て」いう言葉が有名になりましたが、それも似ているかもしれません。ある国際試合のハーフタイムで僕の目の前で言ったのをよく覚えています。彼女は「私は最後まで全力でプレーする。言葉ではうまく伝えることができないんだけど、みんなが苦しくなったときも私はずっと走り続けるので、それを見て最後まで諦めずに全力でチームのためにプレーしてほしい」と、もう泣きながら語りかけていました。それはプレーする背中で語るという、もう素晴らしいリーダーシップです。
実は、澤選手は選手時代の身体能力だけでいうと、ほかの代表選手と比べて必ずしも高くはありませんでした。ダッシュのスピードも持久走もジャンプ力も筋力も全部平均値。彼女はいつも「すごくコンプレックスを感じる」と言っていたぐらいです。でも、試合中は、誰よりも走るし、当たりも強い。なにより、誰よりも負けず嫌いです。
【三宅】それはすごいですね。
【山藤】僕もずっと、あの強さは何かなと考えていたのですが、心身統一合氣道でいうところの「氣」が出ているということじゃないかと思います。
【三宅】私もいまの話を聞いていて、そう思いました。体力ではない。相手選手への当たりにしても、力対力でしたら、フィジカルの強い欧米選手に跳ね返されてしまいます。澤選手は、氣のエネルギーで相手に競り勝っていますよね。
【山藤】そういう視点で見ると、あのワールドカップでの澤選手のプレーもさることながら、チーム全体に「氣」がみなぎっていたと思います。1つひとつのプレーもそういう感じがしました。それはまた、のりさんの采配にも感じられたことです。
2016年の夏、のりさんと僕が毎年一緒に取り組んでいる小学生のサッカーキャンプに、なでしこジャパンでキャプテンを務めた宮間あや選手が手伝いに来てくれました。のりさんに頼まれて僕が司会で、3人で市民公開講座を開きました。
僕が壇上で、「あらためて今振り返ると、なぜ2011年のワールドカップは優勝できたと思いますか」と質問しました。そうしたら、2人が同時に「うーん、あれはやっぱり震災があった年だったから」と答えたんですよ。「日本中から目に見えないエネルギーと応援をいただいて、奇跡的な試合展開と奇跡的なゴールが生まれた。もちろん、作戦もフォーメーションも、いろんな要素があったけれども、実力的には日本チームが優勝できるレベルではなかったけれど、日本からのエネルギーは感じていた」と声を揃えて語っていました。
【三宅】やはり、目に見えないエネルギーはあるのですね。その時点ではわからなくても、振り返ると、それを感じるという。これもすごくいい話ですね。
【山藤】スポーツドクターの立場から言わせてもらうと、もちろん体力や筋力はアスリートには絶対に必要です。それを向上させるために、僕らプロフェッショナルもいるわけですし、実際にフィジカル面も強くなっているはずです。とはいえ、国際試合という極限状態にあっては、そうした合理を超えた無意識のうちに身体を動かし、ボールを蹴るということができるチームにこそ強さがあるのかもしれません。
医療法人社団昭和育英会理事長・昭和医療技術専門学校学校長
1972年東京都生まれ。昭和大学医学部、同大学院医学研究科外科系整形外科学修了。医学博士。小学校から高校までは私立暁星学園サッカー部で活躍。現在は医療法人理事長として複数の医療機関を経営、また医療系専門学校の学校長として学生の育成にも関わる。なでしこジャパンのチームドクター(2008年 北京オリンピック等帯同)を務めるなど、スポーツドクターとしても活躍し、現在東京都サッカー協会医学委員長として2020年オリンピックパラリンピックにも備えている。著書に『社会人になるということ』がある。