【ケース4】75歳 女性 夫は8年前に亡くなる。子供2人は、近隣の大都市で生活しており長い間一人暮らし。最近少し物忘れが始まったようですが、慣れ親しんだ環境で特に破綻なく暮らしていました。
しかし5カ月前、近所の交番に「泥棒が入って、金を盗まれた」と電話がありました。。交番の駐在さんが捜査するもその形跡なし。そのうち電話が頻回になったため、長女とともに来院。
対応を検討し、「まず介護保険を申請して、訪問看護を始めましょう。それから信頼する駐在さんに病気のことを話して、対応してもらいましょう」ということになりました。
相談した駐在さんは「わかりました。おばあちゃんのところの巡回を今より増やすよ。なんかあったらいつでも連絡して下さい」と、言ってくれたそうです。駐在さんが頻繁に顔を見せるようになったこともあってか、最近は「泥棒もあきらめたごたる(ようだ)」といつものように暮らしているとのことです。
おばあちゃんの言うことを否定しない
もし自分の親が「嫁が私の財布を取った」と騒ぎ出したら、どう対応したらよいでしょうか。私が教えている大学で、試験問題として出題したことがあります。以下は、ある学生の回答です。
「おばあちゃんも知っている嫁の友達に相談し、一緒に財布を探してほしいとお願いする。財布を探すときにはおばあちゃんに声をかけながら、いつも財布が置いてある場所を始め、いろいろな場所を確認してもらう。友達が勝手にいろいろな場所を探して、財布を見つけると、おばあちゃんは『嫁と友達がぐるになって盗んだのではないか』と疑ってしまうので、必ずおばあちゃん自身にも探してもらう。その結果、財布が見つかれば、嫁に対する疑いも晴れるのではないでしょうか」
この回答の中に対応のエッセンスが入っています。(1)否定しない、(2)一緒に探す、(3)できるだけ本人が見つけるように配慮する――です。このように妄想は否定するのではなく、そう認識して脅えている本人を支えることが、基本と思われます。支える人こそ薬なのです。
さて私の住む九州の北部には、まだ多くの地域に共同体が残っています。それらはケース4の駐在さんのように、「治療の資源」として、大きな役目を果たすことも多いようです。
一方、東京をはじめとする都市部では、地域共同体が消滅しているところが多いようです。東京ではこれから地方を上回るスピードで高齢化が進みます。そう考えると、妄想を悲劇に変えないための準備に早く取りかかる必要があると思えてなりません。
次回は「妄想の持つ矛盾」についてお話します。
国際医療福祉大学 福岡保健医療学部 精神医学教授
1952年佐賀県生まれ。九大法学部を卒業後、精神科医を志し久留米大学医学部を首席で卒業。九州大学病院神経科精神科で研修後、佐賀医科大学精神科助手・講師・その後佐賀県立病院好生館精神科部長を務め、2012年4月より現職。この間佐賀大学医学部臨床教授を併任。