20カ国を支援する「救缶鳥」プロジェクト

11年の東日本大震災では、那須塩原市も震度6弱の揺れに襲われ、大きな被害を受けた。パン・アキモトの工場も一部機械が倒れるなど操業に支障が出たが、秋元社長は真っ先に被災地に在庫のパン缶1万5000缶を運び、すべて無償で提供した。

古いパン缶を回収し、無償で国内外の困っている人に提供する「救缶鳥」プロジェクト。

その後、取引先に要請して、7000缶を寄付してもらい、それも被災地に届けた。さらに、仲間に呼びかけ、300万円を集めて材料を調達し、1000万円分のパン缶を送った。取引先への納入は後回しだったという。

福島原発事故では、風評被害で地元のホテル・旅館から客がいなくなった。パン・アキモトも通常のパンの注文が半減し、経営が苦しくなった。それでも秋元は支援をやめず、パン缶を被災地に送り続けた。

わが身を捨てて支援する秋元の思いは、次第に伝わっていった。テレビ報道などをきっかけに多数の義援金が集まるようになった。わざわざ200万円を届けに来た老夫妻もいたという。同社を助けるためにもパン缶を購入して被災地に送る企業や個人も増え、経営危機を脱することができた。

今でも秋元は月1回、パン缶を持って東北地方を回っている。仮設住宅などに住む被災者に手渡すためだ。被災者支援は秋元のライフワークになりつつある。仮設住宅の台所が狭くて、揚げ物ができないと聞くと、揚げたてのドーナツやメンチカツを振る舞おうと現地へフライヤーも持参したこともある。

パン缶は新たな社会貢献の仕組みも生み出した。備蓄用として購入されるパン缶は賞味期限が過ぎると廃棄されてしまう。あるとき、納品先の自治体から新しいパン缶を買うから、古いものを処分してほしいと依頼された。このままではせっかくのパンがゴミになってしまう。

その時、スマトラ沖地震で津波被害を受けたスリランカの知人から「古くてもいいからパンがほしい」と依頼があった。秋元は、それならば廃棄前にパン缶を引き取って送ればいいと気づいた。

ここから生まれたのが「救缶鳥」(きゅうかんちょう)プロジェクトである。パン缶で人を救うという意味だ。新しいパン缶を再購入することを前提に、取引先から賞味期限の切れる1年前、つまり購入2年後に古いパン缶を回収し、無償で国内外の困っている人に提供する。

救缶鳥は通常のパン缶容量の2倍で、再購入してくれる場合は、1缶当たり定価800円から102円を割り引くことにした。09年から始まり、ヤマト運輸の協力を得て回収コストを下げることができた。

缶にはメッセージを書き込む欄があり、被災者に励ましの言葉とパンを届けることができる。ラベルに企業名を印刷すれば、社会貢献活動のアピールにもなる。すでに多くの企業や自治体、学校などが救缶鳥プロジェクトに参加し、約300団体が備蓄する約30万缶が救缶鳥として提供されている。これまでの支援国は20カ国にのぼる。