阪神・淡路大震災をきっかけに開発

パン・アキモトは、1947年に秋元の父、健二が脱サラして創業した。健二は戦前まであった大日本航空の国際線無線通信士で、英語やフランス語にも堪能だった。敬虔(けいけん)なクリスチャンであり、敗戦後の食糧難に苦しむ人々を助けようとパン屋を始めた。

「パンの缶詰」の賞味期限は13カ月から最長37カ月まで。

秋元は76年に法政大学を卒業後、都内のパン店で2年間修行してから家業を手伝うようになった。

パン缶を開発するきっかけは、95年に起きた阪神・淡路大震災だった。神戸の教会に健二の知り合いがいたこともあり、支援のためにパンを焼いて2000食ほど送った。ところが、届くまでに時間がかかり、3割ものパンを廃棄せざる得なくなった。

「廃棄することはパン職人として本当に残念で、被災地の人たちもおいしくて保存性のあるパンがほしいという声がありました。これはパン職人としての使命だと思い、保存できるパンの開発を始めたのです」

だが、それは簡単ではなかった。秋元は朝3時からいつものようにパン作りを始め、昼過ぎに終わると、保存できるパンの開発に取り組み始めた。最初は、ビニール袋で真空パックにするアイデアを思いついたが、パンがつぶれてしまい、袋を開けても元の姿に戻らなかった。冷凍保存も試したが、解凍するとぺしゃんこになった。

ふわふわ感やしっとり感というパンの風味を残したまま保存食にしたいという秋元の願いは無理かと思われた。そのとき、たまたま地元で缶詰作りの見学があり、ぴんときた。

「パンの缶詰にすればいい!」

だが、普通の缶詰とは違う。発酵させたパン生地を缶の中に入れて焼こうとしたが、内部が結露してパンが内側にべっとりとくっついてしまう。水分を取るためベーキングシートや和紙を敷いたが、なかなかうまくいかない。

どうしたらいいのかと秋元は頭を抱えたが、商社を通じて、ヨーロッパに耐火性と吸湿性を備えた紙が見つかり、ようやくパンの缶詰が完成した。開発に着手して1年半がたっていた。

缶の中にこの特殊紙を敷き、発酵させた生地を入れて、そのまま焼く。焼き上がり後、冷ましてから脱酸素剤を入れてフタをする。これで内部は無酸素状態となり長持ちする。