なぜ旧軍の有名人はみな、作戦課出身なのか

「情報担当」に対して、「自分はどうすべきか」を考えるのは「作戦担当」と呼ばれます。「作戦担当」は、自分たちが戦略・作戦レベルで相手に対して何をしたいのか、あるいは作戦・戦術レベルでどのように振る舞うかなどのオプションを、指揮官に示します。

さらに「作戦担当」は、自らが見積もった戦略・作戦を、「情報担当」が見積もった成果を踏まえたうえで、相手がどのような動きや手段に出てくるのかを分析・比較しながら、戦略を練り上げていきます。

じつは、この「情報」と「作戦」のバランスこそが、戦略を考えるうえで決定的に重要となることを強調しておきたいと思います。太平洋戦争におけるミッドウェー海戦やガダルカナル島など旧日本軍の敗戦の原因は、情報課に比べて作戦課の力が強かったためともいわれています。その結果、旧日本軍は敵の出方をほとんど考慮せず、自軍のやりたいことを優先してしまう傾向が生まれてしまいました。

石原莞爾など、旧日本軍で名前を知られている人はほぼ作戦課出身ですが、情報課の人間で知名度のある人はいません。

そして、じつはこの傾向は、現代の日本企業にもある程度受け継がれているのではないか、と思うのです。現代の日本企業でいえば、「作戦課」とは経営企画室にあたるものでしょう。それに対して「情報」は、かなりの大企業ですら、それに該当する部署自体がない、というところも少なくありません。

もちろん自衛隊はその反省から、「情報」をいかに手に入れるか、ということについて、大きな力を割いています。

さて、「情報担当」と「作戦担当」のオプションが出揃ったところで、そのなかで最良のオプションとは何か、ということが徹底的に議論されます。その議論の結果を踏まえて、最終的な意思決定を指揮官が行なうのです。

とはいえ、もちろん戦略や作戦を策定するときに、「情報」と「作戦」だけの要素で決定がなされるわけではありません。その他の機能として、兵站、人事、通信などの大切な機能も考慮する必要があります。

その後、そうした戦略や作戦は具体的な行動計画にまで落とし込まれますが、そこでは指揮官はコンセプト(構想)を与えたうえで、現場レベルの自衛官にまで具体的な目標を示さなければなりません。そしてもちろん、その戦略や作戦は状況の変化や時間の経過に伴い、必要に応じて修正されます。

繰り返しますが、おそらく自衛隊の戦略と、いわゆる経営戦略が最も異なっているところは、自衛隊はその戦いに「絶対に負けてはならない」というところです。もちろん、一般企業においても「負けてもよい戦略」があるわけではないと思いますが、かつての時代に比べてもビジネス環境がますます苛酷になっているいま、その戦略の成功確率を上げるために、日本人の苦手な「情報」を徹底的に重視するIDAサイクルの考え方が参考になるところがあれば、とても嬉しく思います。

折木良一(おりき・りょういち)
自衛隊第3代統合幕僚長
1950年熊本県生まれ。72年防衛大学校(第16期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。97年陸将補、2003年陸将・第九師団長、04年陸上幕僚副長、07年第30代陸上幕僚長、09年第3代統合幕僚長。12年に退官後、防衛省顧問、防衛大臣補佐官(野田政権、第2次安倍政権)などを歴任し、現在、防衛大臣政策参与。12年アメリカ政府から4度目のリージョン・オブ・メリット(士官級勲功章)を受章。著書に、『国を守る責任 自衛隊元最高幹部は語る』(PHP新書)がある。
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