小規模な醸造所で作られた「クラフトビール」のブームが世界中でつづいている。アメリカでは金額ベースでビール市場の2割を占めるまでに成長した。ここで人気なのが日本産の地ビールだ。
米国で飲まれている地ビールの代表例といえば、「木内酒造」(茨城県那珂市)が造る「常陸野ネストビール」。1997年のインターナショナルビアサミットで金賞を取って以降も、アメリカ、ドイツ、イギリスなど世界各国で開かれた数々の国際ビールコンテストで1位を獲得している。昨年は米国に約136万本を出荷。今年3月にはサンフランシスコ、10月には上海に直営店とレストランをオープンした。
なぜ茨城産のクラフトビールが、海外で人気を博すようになったのか? そこには、商品開発の段階から海外進出を見据えた、数々の戦略があった。
地ビールブーム終焉による経営悪化が、海外進出に向かわせた
木内酒造の創業は文政六年(1823年)。約200年前、江戸時代の茨城県那珂市で酒造りを始めた。そんな老舗酒蔵がビールの製造を始めたのは1995年。かつて日本では大手4社しかビールを造ることが認められなかったが、酒税法が1995年に変わり、小規模でビールを造ることが認められるようになった。そこで木内酒造もビール事業に参入したのだ。
当時は参入者も多く、日本では全国的に地ビールのブームが巻き起こった。しかし、ブームはいつか終わるもの。数年たつと売り上げが激減し、地ビール会社が次々と倒産していった。木内酒造も同様に大打撃を受けたという。
「この時期、経営は苦しかったですね。でもあの経験があったからこそ、日本でダメなら世界で勝負しようと思い切って事業転換ができたんだと思います」と木内酒造取締役の木内敏之さんは言う。
その後1997年に行われた世界のビールコンテストに挑戦し、見事第1位に。出品された220のビールの頂点に立った。その後も数々の世界コンテストで受賞し続け、世界で注目を集めるようになり、海外への輸出を本格化していった。