「寒青」と「辛抱ばい」

高倉健は決して怒りんぼではない。それどころか怒りをコントロールする人だ。ナチュラルな人で、作り笑いはしないけれど、いつも相手をにらんでいるわけではない。

だいたい軽薄オヤジのような業界人はまずいない。高倉さんの前で出しゃばったり、人の話に割り込むなんてことはできないのである。実際、彼の前に出ると、たいていの人は緊張で声が出なくなるし、冗談を言うなんてことも実際にはなかなかできない。

そして、彼は辛抱強い。苦労があっても、不運なことがあっても、嘆き悲しむことはない。不作法な人間がいて、怒りはしても、そのことを他人に話したりはしないし、嫌みを言うこともない。

高倉さん本人は座右の銘みたいなものを「寒青」としている。

「最近好きな言葉があって、
腕時計の裏蓋に、その言葉を彫ってもらいました。
「寒青」……。「かんせい」と読む。
中国語で何と発音するのか知りませんが、
漢詩の中の言葉で「冬の松」を表すそうです。
凍てつく風雪の中で、
木も草も枯れ果てているのに松だけは青々と生きている。
一生のうち、どんな厳しい中にあっても、
自分は、この松のように、
青々と、
そして活き活きと人を愛し、信じ、触れ合い、
楽しませるようにありたい」

(『旅の途中で』高倉健 新潮文庫)

でも、わたしは違うんじゃないかと考えている。彼と親しかった札幌「すし善」の主人、嶋宮勤は「ことあるごとに『辛抱ばい』と言われた」と語る。

「健さんが子どものころ、お母さんから何かあると、剛(たけ)ちゃん、辛抱ばいと言われたそうなんです。僕も健さんと話をしていて、つい、苦労が口をついて出てしまう。すると、言われたんです。嶋宮、辛抱ばい。辛抱するしかないんだ、と」

高倉さんは怒ると怖いけれど、でも、辛抱の人だった。

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