実はかつては“ヤバとん”だった
こうして紹介すると順風満帆な成長ストーリーだが、実は90年代後半まで、店の裏側は、長年にわたり“ヤバい”(危機的な)状態だった。次の問題が横たわっていたのだ。
(1)会計管理が「どんぶり勘定」だった
(2)熱狂的ドラゴンズファンで「タニマチ気質」の二代目
(3)老舗の看板が泣くような備品や什器、従業員の態度
それぞれ簡単に紹介すると、(1)は二代目も大女将(義母)も、レジのお金を自分の使えるお金として持ちだすことが多かった。時には支払いも滞ったという。
(2)は仕事を放り出して、プロ野球の中日ドラゴンズを追いかけてチームの海外キャンプにも同行。選手や著名人を店に呼び、無料で飲食させる。でも、サインすら頼めない。
(3)では、店の看板である暖簾(のれん)も古くなり輪ゴムで止める。食器もプラスチック製のものを使用。古参従業員は遅刻も多く、接客態度も悪い――といった状態だった。
「矢場とんには不満だらけでしたが、嫁という立場で自由にできませんでした。私はサラリーマン家庭出身の“よそ者”ですが、お客目線で店を見られる強みがあったのです」
こう振り返る純子氏の援軍となったのは、子供たちの成長だ。98年に名古屋ヒルトンホテルで働いていた拓将氏が入社。ホテル出身の視点で古参従業員にも厳しく接すると大半の従業員が入れ替わり、大女将も引退した。99年にはPOS(販売時点情報管理)レジを導入して経理面をガラス張りにした。現在は長女の藤下理恵子氏(常務取締役経理部長)が管理する。社業に戻った夫を純子氏が見直したのは、創業60周年パーティーだった。
「大橋巨泉さんなどの有名芸能人や野球関係者といった招待客が全員集まってくれた。『矢場とんも二代目も愛されているんだな』と感じ、吹っ切れる思いがしました」(同)