「一流の大衆食堂」をめざした

矢場とんは、戦後間もない1947年、故・鈴木義夫氏(孝幸氏の父)が南大津通四丁目電停前(名古屋市中区)で創業した。まだ地下鉄開通前の市電時代で、店名は「矢場のとんかつ」から来ている。江戸時代から続く町「大須」に近い場所で、下町の飲食店だった。

この店の変身は、純子氏の経歴と密接に関わるので併せて紹介したい。偶然か必然か、店の創業年に名古屋市南区に生まれた純子氏は、同天白区にある短大を卒業後、23歳で孝幸氏と結婚。当時の店はとんかつだけでなく、焼きそばやスパゲティなどもある“大衆食堂”だった。お客はほとんど男性だったが繁盛店で、長女や長男出産後も経理を担当する。

「最初は大衆食堂的な雰囲気に抵抗がありましたが徐々に受け入れた。でも、ただのメシ屋で終わりたくなく『どうせなら一流の大衆食堂をめざそう』と思いました」(同)

現在は国内23店舗、海外は台湾に2店舗を構える規模に成長し、スーツ姿でパソコンを打つ社員も増えた。だが、当時も今も変えないサービスの基本がある。

「昔から、店のマニュアルはつくりません。もちろん『いらっしゃいませ、ありがとうございました』の接客の基本はあり、勉強会もしています。でもウチがこだわるのは、状況に応じて声をかける、少しお節介な接客です。お年寄り、若い世代、1人客や団体客などのお客さんに『なかなかやるな』と思われる店をめざしています」(同)

女将の鈴木純子氏