たとえば私の場合、最盛期には3事業部で合計30人ほどの従業員を抱える経営者として張り切っていました。

しかし新規事業の不調やリーマンショックの影響などによって業績が悪化したとき、組織の縮小と経営陣の刷新に失敗し、すべての従業員と資産を失い、たったひとりになってしまいました。

経営を次の人材に託そうと交代の準備をしていたが、その人物が私が会社のお金を使い込んでいたんじゃないかなどと言い出し始めた。売上が急上昇していたボイストレーニング事業部も、実は赤字を垂れ流しているんじゃないかなどと言い始めた。

財務諸表を見せても納得しないし、なんで交通費がこんなに多いのかと細かい指摘を始める。バカなことを言わず経営に専念したらどうかと説得したが、結局彼は途中で投げ出し組織も空中分解。社員は全員、離反もしくは解雇。結局最後は私ひとりが会社に残ることになった。

ではこれをどう意味づけしたか。

いろいろストレスのかかるプロセスではあったものの、不動産投資を始めたころの原点である「自由に生きる」という観点からは、むしろ良かったのではないか。

起業した当初は、多くの雇用を生み出し、大きな売上をあげて社会に影響を与える経営者になりたいという理想があったものの、それは単なる周囲に対する見栄や憧れであって、本心ではなかったような気がする。

会社を経営するということは、オフィスを構えたり、従業員をマネジメントしたり、それなりにいろいろな制約がある。新規事業をやろうとすると既存事業の従業員から反対意見が出るなど完全に自由奔放でいられるわけではない。

本当は、自分はもっと自由でいたい。そのためには、オフィスも従業員も持たないほうが、場所にも人にも時間にも縛られることがない。

そしてそういう考えは、当時の株主の意向とも異なっていたため、仲違いの原因となり訴訟に発展しそうになった。それで相手の持ち分を買い取ることにしたが、それも誰からの影響や支配も受けず、自由にビジネスができる環境づくりのための必要なトラブルだったのではないか。

また、株式を買い取った会社は繰越欠損を抱えていたため、今後の節税にもなる。だからこれほど安い金額で株式を買い戻せたのはむしろラッキーだろう――。

「人生の首尾一貫感覚」を得られるか

そんなふうにして状況を自分の価値観に引き寄せ、その中で経験の意味づけを変えて組み立て直せば、状況と自分の感覚が一致することで、思いどおりになっている実感が得られます。

もちろん結果オーライとか自分の都合の良い解釈とか、単なる開き直りに近いこともあります。

しかし、状況を自分の枠組みでとらえ直し、自分に有意な意味づけができることは、人生の「首尾一貫感覚」をもたらしてくれます。

仮にそれがトラブルであっても成長の糧だととらえ直すことで、悲観や後悔ではなく、満足感を得ることができるのです。

午堂登紀雄(ごどう・ときお)
米国公認会計士。1971年岡山県生まれ。中央大学経済学部卒。大学卒業後、東京都内の会計事務所にて企業の税務・会計支援業務に従事。大手流通企業のマーケティング部門を経て、世界的な戦略系経営コンサルティングファームであるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして活躍。2006年、株式会社プレミアム・インベストメント&パートナーズを設立。現在は不動産投資コンサルティングを手がけるかたわら、資産運用やビジネススキルに関するセミナー、講演で活躍。『捨てるべき40の「悪い」習慣』『「いい人」をやめれば、人生はうまくいく』(ともに日本実業出版社)など著書多数。
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