他人に不本意な意味づけをされると、不要な反省や自己嫌悪、敗北感を味わうことになりかねません。そこで極端ではありますが、わかりやすい例として、かつて世間を騒がせたSTAP細胞問題で説明します。
STAP細胞の再現性が乏しくても、一度でも成功し可能性が見えたのであれば、さらなる研究へのモチベーションは続くはずです。将来の医療に貢献するはずだという自己有能感も得られます。あのように世間からの好奇な目にさらされるまでは。
しかし一連の報道のように、他人から「ウソだ」「ねつ造だ」などと勝手に決めつけられてしまっては、自分の感情の処理が追いつきません。そして「自分は悪いことをした」などと悲観的になってしまう。実際、関係者からは自殺者やウツ患者を生み出しました。
他人に「意味づけ」をゆだねるな
もちろん、私たちの人生は他人に評価されることの繰り返しですし、それが喜びになる場面もたくさんあります。
しかし他人から、自分の本意とは違う勝手な意味づけをされることほどストレスなことはありません。そんな雑音を排除するためにも、自分に起こっていることはすべて自分で意味を持たせようとすることです。
ただしそれは他人からの評価を無視するということでも自分を卑下することでもなく、自分の感情がより幸福感につながるよう意味を与え、自己評価をコントロールするということです。
自分が直面する事態や状況が仮に望ましくないものであっても、「自分にとってはこういう意味があったんだ」「つまりこういうことなんだ」などと、有意な経験としてとらえることができれば、あらゆる出来事が自分にとっての糧として納得することができます。
そうやって自分に起こっていることを受け入れられれば、現実と理想とのズレが縮小し、悲観的になったり絶望したりすることもありません。