結局、産経は「小池百合子」が大嫌いなのだろう
理由は明らかだ。産経社説は各紙のなかでも小池氏にかなり批判的だった。そのために読売社説のように頭の切り替えができないのだろう。
その結果、社説全体の筆運びから滑らかさが消え、水気のないパサパサした文章が続き、分かりにくい主張になっている。そう沙鴎一歩は思うのだが、どうだろうか。
次のくだりも気になる。
「『小池人気』を頼って合流したのが実態だろう。選挙中から『変節漢』との批判も浴びたろう。この上さらに、民進へ回帰しようとすることこそ、変節の極みだ」
「変節漢」とは自分の信念を時流などにこびて変えるような男を指すのだが、あまり使われない言葉である。希望の党の両院議員総会の中で使われたのだろうか。特に若い世代の読者は受け入れにくいだろう。
「変節の極み」という表現を使うのは、よほど変節が嫌いな頭の固い論説委員が書いたのか。デスク格の論説委員のチェックはどうなっているのだろうか。
さらに「今、なすべきは当初の『恩義』を忘れて小池代表に恨み言をぶつけることではない。衝動的に民進回帰することでもあるまい」と指摘しておきながら、社説の最後でこう小池批判を繰り返す。
「創立者たる小池氏にしても、完敗で早くも党運営を国会議員に丸投げする。もう飽きたというならあまりにも無責任ではないか」
産経社説はよほど小池百合子という女性政治家が嫌いなのだろう。