希望という党名を揶揄して「希望の党は、失望、絶望の党だ」などと言葉遊びがネット上では盛んであるけれど、日本国語大辞典によれば、「希望」の意味の第一が「こいねがうこと。あることが実現することを待ち望むこと。また、その気持。のぞみ。願望」とあるのだから、特に言葉遊びやひねりも必要なく、その言葉の意味通りに受け止めるのがいいと思う。消費税増税凍結の公約にも表れているように、将来のことや社会全体のことなど関係なく、税金はおさめたくないし、我慢はしたくない、不満だけは政府にぶつける政党だということだ。自分が何かをつくり上げるようなことはなく、人のつくったものに文句をつけるという万年野党の体質そのものだ。

そのことは都政運営にも色濃く表れている。それはどこか。

もしも、今の東京都が小池百合子はほとんど何もしておらず、舛添要一がつくったものだけでほぼ運営されているとしたら驚くだろうか。

しかし、実際、今、東京の行政を動かしている予算は、まだ舛添要一がつくったものだ。これは来年の3月まで続く。どういうことか。

日本の予算スケジュールは、以下のようになっている。

6月末までに知事査定を行い、霞が関の官庁に結果を送る。7月末までに政府は来年度予算の基本方針を決定する。8月中旬に、その基本方針に沿って全省庁が概算要求を実施。さまざまな折衝を経て、12月に官房長官が打ち止めを宣言。出来あがったものを1月に通常国会に提出し、審議を経て可決され、執行される。

小池は、2016年7月の都知事選挙当選後、すぐに小池カラーを打ち出した予算の組み替えを実施したいと要望していれば、どこまで結果に反映されるかはわからないが、少なくとも8月中旬の概算要求の前に、霞が関に声を届けることは可能だった。直近の圧倒的な民意を得た都知事の要望にゼロ回答ということはないと考えるのが自然であるから、小池カラーを打ち出すことができたはずなのだ。しかし、小池はそれをしなかった。前都知事・舛添がつくった予算ほぼそのままに執行されることになった。つまり、来年の3月まで、東京で行政が回しているのはほぼ舛添ということになる。

このことは、舛添を批判し、与党を批判してきて都知事に当選したにもかかわらず、実際は何もしないで、舛添予算に乗っかっているだけという“小池体質”を物語るエピソードではないだろうか。