経営層への歴訪は、後で触れるシステム部門への「異例の異動」まで、9年続けた。そこから得た結論が「コンサルタントには、しゃべる力よりも話を聞く能力のほうが、圧倒的に重要だ」だ。

ただ、不思議なことがある。実は、子どものころから人見知りをするほうで、会ってすぐに打ち解けることはなかった。入社した当時の神奈川県・鎌倉の職場は、百数十人の世帯で、人間関係が家族のように濃厚。すっと入っていくことは、難しかった。だから、新人たちが揃っていた社員寮にも入らず、独り住まいをした。当然、会話は苦手なまま。それが、仕事とはいえ、次々に人と会い、話を聞き出す日々を送る。なぜか抵抗感もなく、自然体で続く。

「天下有常然(じょうぜん)」(天下に常然有り)――世の中には、生まれながらに当然の役割や姿というのがあるとの意味で、中国の古典『荘子』にある言葉だ。その役割を受け入れて、自然に果たしていくのが進むべき道だ、と説く。本来は人見知りで会話が不得手ながら、コンサルという職務に求められる姿を天命のごとく受け止め、聞き手になって相手の思いに寄り添う此本流は、この教えと重なる。

自分なりの答えを肌で感じとる

1960年2月、埼玉県の母の実家で生まれ、両親が住んでいた東京・駒込で育つ。妹が1人で、3歳のときに練馬へ引っ越し、近くの小中学校から都立西高へと進む。東大理科I類では機械工学を専攻し、大学院の工学研究科で修士課程を修了。ただ、「勉強をした」という記憶は、ない。

日本機械学会の会長も務めた指導教授は様々な話も聞かせてくれた。例えば、西洋と東洋の違いについて「西洋では川の流れを岸から眺めて考えるが、東洋では川に入って肌で流れを感じながら、物事の真理を探求する」と言った。物の考え方や本質のみきわめ方が偏ることへの、戒めだ。

鉄道好きで、国鉄(現・JR)に就職するつもりだった。でも、入社試験が11月で、9月に友人に誘われて、遊びがてらに野村総研の鎌倉研究本部へいくと、いきなり面接となり、その日に内定が出た。「これも天命か」と応じる。

85年4月に入社し、鎌倉の産業経済研究部に配属され、自動車や建機などの産業を担当した。仕事は、大学院の研究室とは別世界。企業などに面談の予約をもらい、初めての人と会って、何かを聞くことで、「新聞記者の取材も、こういうことだろうな」と思ったことを、覚えている。

ただ、本来は不得手なことだから、けっこう滅入って、夏には会社を辞めようかと思う。でも、指導教官が語った東洋流の「真理を探求する」との話が甦り、思い直す。先輩が教えてくれた調査結果の分析手法は、初めは面白かったが、それでわかるのはごく一部しかない、と気づく。大切なのは、肌で自分なりの答えを感じとることだ。2年目には「この仕事、けっこう面白いかな」と思うようになり、このころ、「天下有常然」になったのかもしれない。