教科書は教員手書きのオリジナルテキスト

実は、武蔵の数学の授業では、門外不出のオリジナルテキストを何十年も前から使っている。そのテキストもいまだに手書きなのである。

たとえば中学生の幾何のテキストの第1章は、ほとんど歴史の教科書である。幾何学の生い立ちから始まり、それが紀元前3世紀ごろにはユークリッド幾何学として体系化されるがその曖昧さが解決されるのを人類は19世紀の終わりまで待たなければならなかったことなどが、味わい深い手書きで記されている。数学の世界を切り開いた先人たちへの敬意がにじみ出る。

それに比べると、一般的な数学の教科書では、その結論に至るまでの人類の苦労や膨大な時間がきれいさっぱり漂白されてしまっている。はじめから結論が存在していたかのような錯覚さえ覚える。それではいけないというのが武蔵のまなびのスタンスだ。

面倒くさいと思うだろうか。実際、面倒くさいのだ。でもそれが武蔵。「そう簡単に答えが出るわけがないじゃないか!」そんなメッセージが、学校全体に呪文のように響き渡っているのである。

「新しい教育」とは案外「懐かしい」ものかもしれない

おおたとしまさ『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』(集英社)

環境問題や国際紛争など、現在世の中が抱える諸問題に唯一絶対の解決法などない。ましてや起死回生の一発のようなインスタントな解決法はない。常に状況は変化しており、それにともない最適解も動く。世の中の問題のほとんどは、動的な問いである。

動的な問いに対処するために必要なのは、速く正確に正解を導き出す力より、簡単には答えを出さずモヤモヤしながら問いを問いとして抱え続ける力である。

正解があるわけもない複合的な問題に対して「オレについてこい、こうすればいいんだ!」と威勢よく言うのは、“カッコいい”けれど不誠実きわまりない。そんなリーダーはもういらない。渋々と「わからない。でも考え続けよう。みんな、力を貸してくれ……」と言えるリーダーこそが、これからの時代には必要だ。

即断即決、合理性、効率性、生産性、成果主義、スピード感のような"カッコいい?言葉に惑わされず、問いを問いとして抱え泥臭くじっくり考え続けることの大切さを、いま大人こそ、武蔵の教育から学び取るべきではないだろうか。

武蔵は恐ろしくマイペースに独特な教育理念を守り続けている。こだわりが強く、かたくなな学校として知られている。しかしこうして見てみると、武蔵のような教育が、いまこそ必要だと言えるのではないだろうか。

「世の中の変化は速い。教育も変わらなければいけない」とはよく言われるが、これからの時代に必要な教育とは、案外懐かしいものなのかもしれない。

おおた としまさ
教育ジャーナリスト。麻布高校卒業、東京外国語大学中退、上智大学卒業。リクルートから独立後、数々の教育誌の企画・監修に携わる。中高の教員免許、小学校での教員経 験、心理カウンセラーの資格もある。著書は『名門校とは何か?』『ルポ塾歴社会』『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』など約50冊。
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