中核にあったのは「欧州の中のドイツ」

第2次大戦で兄が戦死、自らも徴集や空襲の戦争経験があるコール氏は、10代から「国のリーダー」を志して、学生時代にキリスト教民主同盟(CDU)に入党した。彼のビジョンの中核にあったのは「ヨーロッパの中のドイツ」ということだ。

ドイツが突出して強くなるとヨーロッパは不幸になる。ドイツの復興、繁栄はヨーロッパとともにあるべし――。こうした考え方から欧州統合を積極的に推進した。西ドイツ初代首相アデナウアー、さらには前任のシュミット首相がジスカール・デスタン仏大統領と連携して築き上げてきた「統合」の素地をさらに発展・加速させて、マーストリヒト条約までこぎつけた。

欧州共通通貨ユーロの導入にしても、奇跡の戦後復興の象徴であり、ヨーロッパ最強の通貨になっていたマルクを放棄することへのドイツ国内の抵抗は非常に強かった。しかしコール氏は「ヨーロッパの中のドイツ」を貫くためにこれを決断、反対論を押し切ってミッテラン仏大統領とともにユーロを導入した。

東ドイツが猛スピードで復興できた理由

もう一つのビジョン、というより悲願は戦後、東西に分断された祖国の再統一である。東西冷戦下でまったく見通しが立たない時期でも、「統一」の夢は決して諦めなかった。だからこそ冷戦終結、ベルリンの壁崩壊という決定機を逃さなかったのだろう。

コール氏はミッテラン大統領とソ連のゴルバチョフ大統領と頻繁に会談して究極の信頼関係を築いた。ドイツの再統一に強く反対していたのがナチスドイツに痛い目に遭ったフランスとソ連だったからだ。

89年のベルリンの壁崩壊から1年後、東ドイツの州が西ドイツに編入される形で再統一を果たしたときには、フランスもロシアも反対せずに歓迎の意を表した。ベルリンの壁崩壊を千載一遇のチャンスと見るや、ドイツ再統一に関する国際合意をまとめあげ、国内の反対勢力を封じ込んで、わずか1年という短期間で再統一を成し遂げた突破力は見事というほかない。とはいえ困難な課題は統一後にも待ち受けていた。西と東の経済格差である。