東大法学部の国際法学者・横田喜三郎は、「自国の再軍備は違憲で避けなければならないので、(中略)残るところは国際的保障しかない」と述べた。国際的保障の様々な方法の中で、「一国または数国との特別の協定によつて、援助を受ける約束をしておくのも、一つの方法」であり、「日本と密接な連帯関係にある隣国に攻撃や侵略が加えられた国合にも、これを防止しなくてはならないことがある。ただ、この場合にも、隣国への攻撃や侵略によって、あきらかに日本の安全と独立がおびやかされる場合にかぎるべきである。つまり、いわゆる集団的自衛権の場合にかぎるべきである」とした。

横田はいち早く1949年に「集団的自衛」に関する論考を著し、「集団的保障が十分に確立していない場合に、それを補うものとして、集団的自衛が必要になる」と説明し、「現在は集団的自衛の時代である」と強調して、日米安保条約正当化の基礎となる議論を提供していた。

「自衛権」を定めているのは憲法でなく国際法だ

主権回復という大事件が1951年9月に起こったとき、ほとんどの憲法学者たちは、それを憲法学の枠外の出来事とみなした。にもかかわらず、彼らは引き続き、憲法9条と自衛権の問題などを語り続けた。対外的主権がようやく回復した際、サンフランシスコ講和条約の条文に明記された「個別的又は集団的自衛の固有の権利」及び「集団的安全保障取極」を、憲法の枠外の出来事として無視したうえで、ただひたすら憲法学における自衛権の概念なるものを主張し続けた。

百歩譲って、もし憲法典に「自衛権」という概念が登場するのであれば、そうした態度を正当化することもできるだろう。しかし憲法典は「自衛権」について語っていない。「自衛権」を定めているのは、国連憲章であり、国際法である。

国際法に存在している「自衛権」について、憲法学者が国際法学における議論を無視するだけでなく、国連憲章まで「異物」だと呼んで、「自衛権のことは憲法学者に全て仕切らせろ!」と言わんばかりの態度を取り続けているのは、日本社会における不健全な現象の一つである。

憲法学者は「正当防衛という概念は憲法学者に仕切らせろ!」といったことを刑法学者に言ったりはしない。ところが国際法に対しては、平気で「自衛権のことは憲法学者に仕切らせろ!」という態度を取るのである。控えめに言って、かなり異様な光景だ。国際法や国際政治学に対する、無意識のうちの蔑視があると指摘せざるをえないのであるが、多勢に無勢で、そのような慣行が常態化してきてしまった。残念なことである。

安保法制はいい機会だった。改憲論議もそうだろう。国際法の概念は国際法にそって理解する、という当然至極の姿勢を、日本社会は取り戻すべきだ。

そうでなければ、永遠に日本はガラパゴス社会である。

東京外国語大学教授 篠田英朗(しのだ ひであき)
1968年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院政治学研究科修士課程修了、ロンドン大学(LSE)大学院にて国際関係学Ph.D取得。専門は国際関係論、平和構築学。著書に『国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」』(講談社選書メチエ)、『集団的自衛権の思想史――憲法九条と日米安保」(風行社)、『ほんとうの憲法 ―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書)など。

 

(写真=時事通信フォト)
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