ウルトラドンにしかできないこと
そして、角栄が関わった道路の中でも、極め付きに“不自然なルート”といえるのが本四架橋である。
現在、本州と四国を結ぶ道路は、明石海峡大橋、瀬戸大橋、しまなみ海道の3ルートが完成している。ちなみに本四架橋3ルートは、前述の「国土総合開発法」に基づく、第2次「全国総合開発計画」で建設が明記され、建設への動きが本格化した。角栄が首相になる直前の70年に角栄が法案づくりを主導した本州四国連絡橋公団法が成立。田中内閣の下ですぐに着工するかと思われたが、金脈問題で田中内閣が退陣し、三木内閣に代わると雲行きが怪しくなる。オイルショックの影響で着工が延期される中、「3本も必要ない。税金のムダ」という、いわば当然の批判が絶えず、国会の審議はストップ。本四架橋に関わった政治家では、明石海峡大橋に政治生命をかけていた故・原健三郎衆院議員が有名だが、それぞれの橋と結びつきの強い議員はいたが、積極的に橋をつくる理由を国民に説明できず膠着状態になっていた。結局事態を動かしたのは退陣して表舞台から一歩引いていた角栄だった。角栄は国会議員を集めた。
「本州と四国を結ぶ道路はすべてつながっている。1本の道路に橋を3つかけるのになぜ国会を止めるんだ。東海道には日本橋から京都まで橋が何本あるか言ってみろ!」
翌日から審議は再開し、3つの橋がかかることが決まった。ここから「1ルート3橋」という言葉が生まれた。
東海道と本四架橋がどうしてつながるのか一般人に理解するのは難しいが、本州と四国をつなぐ1本の道路につなぐ橋は3本だけ、東海道にかかる橋の数よりはるかに少ないから問題ないという論理らしい。道路に関わる法律とその読み方を熟知していた「ウルトラドン」だから可能にした力技だといえるだろう。