そして同じ年に手掛けた角栄にとって2番目の法律が「国土総合開発法」だ。角栄のグランドデザインといえば、「日本列島改造論」が有名だが、それよりも20年以上も前に、国づくりの方向性を政治家が考えて法制化し実現するという道筋をつくっていたことになる。すでに一国のリーダーのような考え方だが、このときの角栄はまだ30代になり立ての若手政治家なのだ。

そして、この法律に基づいて策定された「全国総合開発計画」には「地域間格差の是正」が盛り込まれ、角栄の地元である新潟県を中心に日本海側の開発が進むきっかけとなった。その後、計画は第5次まで重ねられた。この計画に基づいた国の公共事業により、日本中のインフラが整ったといっても過言ではない。前回紹介した道路関係の法律も、角栄が深く関わることになるエネルギー関連の数々の法律も、すべての出発点はこの「国土総合開発法」だ。

角栄の議員立法を振り返ると、戦後日本は角栄の法律によって築かれたといってもいいのではないかと思えてくる。

さらに忘れてはならないのが、この法律ができた50年の日本は、まだ米軍占領下にあったという事実である。国会でどんな法律をつくっても、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が認めなければ、何も実現できなかった時代である。そんな状況下で、これだけの法律を通したのだ。以前に、私は角栄をスーパー(大変優れた、すごい)ドンと称したが、ウルトラ(枠、限界を超えた)ドンとしか言いようがない。

どうすれば道路を通せるか

国家レベルの未来図を描く一方で、地域の人の細かい陳情にも応える。それが角栄という政治家の大きさだ。

「国土総合開発法」に続き、「道路三法」を成立させた角栄は、群馬と新潟の県境の三国山脈を貫く「三国トンネル」の着工にこぎつけた。初めて政治家を志したときから、地元新潟の発展のために三国山脈に風穴を開けると公言していたが、本当に穴を開けてしまったのだ。三国トンネルによって国道17号は首都圏と日本海側の各都市をつなぐ幹線道路となった。「地域間格差の是正」への第一歩である。

完成した三国トンネルを抜け、現在の新潟県魚沼市に入ると、しばらく、信濃川の支流である魚野川沿いに道路が続く。一般に国道というと、都市と都市の間を最短で結んでいるイメージがあるが、国道17号は不自然に魚野川を何回も渡るルートをとっている。この地域には、角栄の有力支持者が多く、彼らからの陳情を受けた角栄が建設省(現・国土交通省)に根回ししてこうしたルートになったらしい。最近よく言われる忖度である。現代なら「行政が捻じ曲げられた」というような官僚が現れたかもしれないが、当時の建設省は全省的に「田中先生にはお世話になったから」という雰囲気で誰も問題にしなかった。多くの人の心をつかむリーダーが掲げる理想であれば、「忖度」が批判されることはないのかもしれない。