論語的に見て、籠池氏は「小物」か「大物」か?

森友学園問題で、先月、籠池泰典前理事長が国会で証人喚問されました。私が驚いたのは、彼が、証言の場でとても堂々としていたように見えたことです。

証人喚問というと、私たちの世代だと、田中角栄元首相が5億円の収賄容疑などで逮捕された「ロッキード事件(1976年)」や、政府高官が絡んだ汚職事件の「ダグラス・グラマン事件(1978年)」を思い出します。

ロッキード事件では、政商の名をほしいままにした国際興業創業者の小佐野賢治氏。ダグラス・グラマン事件では、当時の日商岩井副社長の海部八郎氏。

ふたつの事件ともに喚問された証人は、まさに「大物」でした。

ところが、証人喚問の場で小佐野氏はかなり緊張した表情で「記憶にありません」を繰り返し、海部氏は証人喚問に先立つ宣誓書に自分の名を記入する際に手が大きく震え、まともに字が書けなかったことは、いまだに私の記憶に残っています。

一方、今回の事件の籠池氏は企業規模の点も含め「小物」と言ってもいいでしょうが、国会で政治家たちからの尋問を見事に受けてたちました。もちろん、その答弁の真偽はわかりませんが、「堂々」とした印象がありました。

首相周辺に取り入り、安倍政権・政界を揺るがす籠池氏。証人喚問後、事態がなかなか収束しない状況を見ると、ことの重大さを感じずにはいられません。政府や首相周辺としては、やっかいな人と関わってしまった、というのが本音かもしれません。

今回のこの連載では、私の好きな『論語』から、人物の見分け方や小物に取り入られないポイントをお話ししたいと思います。