その「格闘技」という表現に、社内で「危なっかしい言葉を使わないでくれ」と言われた。でも、気にしない。併せて「行動力、スピード、勝負勘だ」とも、部下に説く。1つの理屈の下に、整理して言ったわけではない。伝統的に理屈に強い人が多く、会議も理屈から入る会社だったが、「理屈より先に動け」が信条だ。

部には課が3つあり、総勢約50人。自分は47歳と中堅だが、課長は30代後半、課員も若手揃いだった。毎月1度は集め、攻めきれずにいた企業の分析や担当者の報告を聞き、みんなに具体的な攻略法を出させ合う。日本企業のグローバル化が進んだ時期で、自分も話を聞き、ときに「格闘技」へ導くための問いかけもした。

部下に頼まれれば、一緒に営業先を訪ね、工場も見学した。勉強になるし、相手にも部下にも本気度も示すことができる。ベクトル合わせには、本気度も重要だ。

工場巡りと言えば、40代前半の本店営業第4部の第1課長時代は化学工業が担当で、茨城県の鹿島から福岡県の黒崎まで、日本各地の石油コンビナートを巡った。大きな生産設備の損害保険を引き受けるための、物件調査だ。

どこでも、工場側は、手ぐすね引いて待っていた。物件調査は半ば口実で、机の下で蹴り合わなくてもよくなるように、夜の宴会で打ち解け合うのが主題だった。ただ、相手はそこで、こちらを飲みつぶそうとする。日本酒の瓶が並べてあり、次々に開けられる。盃を重ね、一緒にわーっと騒ぎ、そのうちにお椀の蓋で飲まされる。お陰で、翌日の物件調査では、真っすぐに歩けない。恐怖の出張だが、これも「格闘技」の1つだ。

「識時務者在乎俊傑」(時務を識る者は俊傑に在り)──その時勢において何をなすべきかを知っている人こそ、優れた人物だとの意味で、中国の史書『三国志』などに出てくる言葉だ。そんな人物として諸葛孔明らを挙げ、採るべき策を具体的に考え、実現させることの大切さを説く。「理屈より先に行動」として、時代状況に即した実践を優先させた隅流は、この教えに重なる。