文系の効果はゆっくりあらわれる

いずれにしても、文系の効果は、時間が経つとともにゆっくりとあらわれる。学問として長期的視野からの評価が必要であるのみならず、個人のキャリアのなかでもそれなりのスパンのなかで意義を考えなければならないのが文系なのだ。

ただ、ここで文系不要論に議論を引き戻せば、データからは、こうしたタイムラグの存在こそが、言説に力を持たせる背景になっている様相もうかがえた。つまり、効果があらわれるまでに時間を要するために、経済学部出身者自身、学びの意義に気づけずにいる。

図3は、経済学系の卒業生が大学時代の経験をどう評価しているのか、学習経験のタイプ別に結果を一部整理したものである。ここからは、(1)大学時代から学び続けている者ほど(学び習慣仮説のルートをたどっている【タイプ1】ほど)、教育に積極的意義を見いだしていること、(2)ただ、学習の効果が強まるキャリア後半になっても、評価が高まることはないこと、の2点が指摘される。

経験の価値は、状況が変わることによって捉え直されることがある。図3でも、大学時代に学ばず、就業後に学習するようになった【タイプ4】で、キャリア段階による評価の違いが確認される。「やはり、働いてからの学びのほうが大事だ」との思いが強くなったことを彷彿させる結果だ。

しかし、大学教育への評価は、下がることはあっても、上がることはない。たしかに、時間が経ってからしかあらわれない効果はわかりづらいものだ。時間の隔たりが効果をみえなくしてしまう。実態として存在しているものが隠され、教育や学習の意義は過小に評価されてしまう。理系出身者のみならず、文系出身者からも文系不要論が支持される――少なくとも、ほとんどの文系出身者から反論の声が上がらない――背景には、こうした事情が絡んでいる。

統計分析から教育の未来像を探る

さて、ここまで「文系不要論」の問い直しを試みてきたが、冒頭で触れた「大卒の価値」の例も含め、日本には誤解や見落としに基づく学歴言説が散見される。仕方がないところもあるのかもしれないが、実態が正確に把握されない状態というのは、決して望ましいものではない。

「世界を動かす力は、統計にあるのではなく、強力な熱情にこそ存する。しかし、世界を正しく改良しようとするのなら、その力は統計によって導かれなければならない」――社会調査の先駆者である英国の統計学者ブース(Charles Booth,1840-1916)の言葉だ。人材こそが資源とはあまりにも言い古された言葉だが、本連載の目的を改めて述べれば、教育の未来像を探るためのたたき台を統計分析から作りあげることにほかならない。

次回は、専門学校の効果について取り上げる。職業に直結する教育を提供していることで高く評価されることも多い専門学校だが、その卒業生たちはどのような働き方をしているのか。そこに日本社会のどのような特徴を見いだせるのか。データが語る姿を描きたいと思う。

濱中 淳子
東京大学 高大接続研究開発センター 教授。1974年生まれ。2003年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。07年博士(教育学)取得。17年より現職。専攻は教育社会学。著書に『「超」進学校 開成・灘の卒業生』(ちくま新書)、『検証・学歴の効用』(勁草書房)などがある。
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