なぜ「技術神話」が形成されたのか

では、なぜ現在の日本企業では文化開発が行われなくなってしまったのでしょうか。戦後、日本における産業の大きな柱は、自動車と家電製品の大衆化でした(生産財も社会インフラも、多くはこのふたつがあってのものでした)。これらの使い方は、すでにアメリカにモデルがありました。同国でつくられたホームドラマなどを通じて、自家用車でのドライブや、冷蔵庫や掃除機などの家電に囲まれた生活など、便利で豊かなライフスタイルが伝わってきたのです。そのため、日本企業が自動車や家電を普及させるために、商品を使ったライフスタイルを日本の消費者にわざわざ一から提案する必要はありませんでした。ただし、日本では道路も居住空間もアメリカほど広くなく、エネルギーコストも高かったため、商品の小型化や省エネルギー化に力を入れればよかったのです。

おそらくアメリカの家電メーカーは、世の中にそれまで存在しなかった電化製品の価値を消費者に知ってもらうために、自社製品をドラマで使ってもらうようにテレビ局に売り込んだはずです。日本企業はそういう、暮らしを自前で構想して社会を啓発する課題に直面せずに済んだために、改良のための技術開発は一生懸命する一方で、文化開発は忘れられてしまったのでしょう。また、小型化・省エネ化はアメリカ以外の海外でも広く受け容れられたため、日本企業はますます技術一辺倒になり、技術さえ優れていればモノは売れるという「技術神話」が形成されたのではないでしょうか。

自動車や家電のように、すでに価値の定義が固まっている商品は、性能やコストの競争になり、製品技術や生産技術における差別化が争点になります。しかし、今までにない、全く新しい商品を提供して新たな市場をつくるには、その商品を使うことによって実現する魅力的な暮らしを構想し、それを社会に定着させ、消費者の動機付けをすることが必要です。そこまでやって、ようやく商品が売れるのです。そのため、新たな市場をつくるには、技術と文化を統括できる存在が必要です。日本のメーカーには、技術面を統括するCTO(最高技術責任者)の立場の役職者はいますが、今後は、ライフスタイルをどうよりよく変えるか、という文化的な視点から統括するCCO(最高文化責任者)を配置すべきだと思います。グーグルにはCCOが存在しています。