一番厳しく、かつ、一番やさしい処分
しかし、話はここで終わらない。さらに1年間にわたって幹部人事も凍結することとした。当時の国民感情からみても厳しい処分であったと感じてくれたのではないかと思う。
実は、この人事凍結というのが、処分を受けた幹部にとって物凄く大きな意味を持っていることに、当時は私以外、誰も気づかなかった。本来であれば、処分を受けた人間は、次の人事で足踏みをするか左遷されることになる。キャリア官僚の世界は入省年次がすべてであり、もし一度でも自分より下の年次の人間に、ポストで先を越されてしまったら、復活のチャンスは全くない。処分を受けた幹部全員は、第二の人生を考えたことだろう。
全員の出世を1年遅らせる
ところが、省内の幹部人事すべてを凍結したことで、その年次の逆転が絶対に起こらないようになったのだ。全員の出世が1年遅れるだけで、人員の構成は全く変わらないままにしたのだ。これによって処分を受けた幹部たちのモチベーションが上がったのはいうまでもない。国家的ともいえる人的財産は厚生行政だけではなく、その後の日本を大きく支えることになる。例えば、処分を受けた後で、宮内庁長官になった羽毛田氏であろう。もしあのまま左遷されていたら、宮内庁長官での大活躍は絶対になかった。
実は、捜査当局との闘いにおいても、岡光事件以外に余計な厄災に巻き込まれないように徹底していた。司法試験に合格し、弁護士資格を持つ幹部に、捜査当局との現場での折衝を任せた。具体的には、岡光事件とかかわりのある部署以外への捜査について「不同意」を連発したのだ。捜査当局はなるべく多くの部署を捜査したいもの。令状には「その他本件に関係あると思慮するもの一般」などと書かれ、これが根拠となって広範囲の捜査をさせてしまう。もしそこで余罪が見つかれば、その余罪は追及の駆け引きの材料に使われたり、マスコミにリークされればさらなる厚生省批判に発展してしまう。それを絶対にさせてはならないと考え、当該事件に関連した部屋以外への捜査に待ったをかけた。つまり、岡光氏は事務次官だったが、事件当時は事務次官ではなかったので、事務次官室への家宅捜索はさせなかったのである。