「他人に迷惑がかかる」から認知症母を殺す
本書では「最も有名な介護殺人」といわれる2006年に京都で起きた事件もとりあげられています。桂川の河川敷で冬の早朝、認知症の母親(当時86)を一人息子(56)が殺し、自分もその後を追おうと自殺したが、死にきれなかったという事件です。
裁判ではそこに至ったいきさつや、心中を図る場面が明らかになり、多くの人が涙しました。が、Sさんはこの加害者(書籍では仮名で竜一と表現)こそ、真面目な「いい人」であるがゆえに追いつめられた典型だといいます。
竜一が追い詰められていく過程は、次のようなものでした。
家業を継いで友禅の染め物職人になったが、着物の需要が減り廃業。その後は電化製品の製造工などをした。1995年に父親が病死すると、母親に認知症の症状が出始める。1998年、リストラで職を失い、経済的苦境に陥る。その後、工場の派遣従業員になるが、母親の認知症は進行し、事件の1年ほど前の2005年春には仕事と介護に追われる生活が始まった。同年6月になると徘徊が始まり、「母を1人にしておくと他人に迷惑がかかる」と考え、派遣会社を休職。収入は母親の年金だけになった。
この時、福祉事務所に出向き、復職できるまで生活保護を受けたいと願い出たが「働けるのだから」と断られる。この状況では暮らせないため、9月に会社を退職。失業保険で3カ月をしのいだ。再度、生活保護の申請をしたが、今度は失業保険の受給を理由に断られた。生活資金が尽き、アパート(親族所有で家賃は月3万円)の家賃が払えなくなった1月31日、「もう、ここには住めない」と家を出た。そして一昼夜、車いすに乗った母親とともに思い出の詰まった京都の街をさまよい、2月1日早朝決行した。
真面目だから懸命に介護、会社も休職して行き詰まる
「本の記述だけでは、竜一さんが置かれていた状況は断片的にしかわかりませんし、どんな心理状態にあったかもうかがい知れません。ですから“こうしておけばよかったのに”などと軽々に語れないですし、彼を責めることもできません。ただ、同様の状況にある利用者さんにアドバイスする立場で言わせてもらえば、この悲劇は防げたと思います」
Sさんは、そう言って、ひとつのポイントをあげた。
「お母さんの認知症が進行して、介護と仕事で疲れ切り、さらに徘徊が始まって“世間に迷惑がかかるから”と会社を休職してしまったところです。介護に頑張り過ぎたのも、迷惑を考えてしまったのも竜一さんの真面目さゆえでえしょう。しかし、だからといって収入の道を閉ざしてはいけない。経済的に行き詰まれば、介護も破たんするわけですから」