植物状態になった人にも言葉がある

大人になってから、脳卒中や事故やなどで遷延性意識障害(せんえんせいいしきしょうがい)になって言葉を失う人たちもいます。いわゆる“植物状態”と言われる人たちです。今から10年ほど前、私は事故で植物状態になった30代の女性に会う機会がありました。意識もなく、言葉も出ないようにも見えましたが、その方にパソコンでのコミュニケーションを試みたところ、しっかりと言葉を綴られ、会話ができました。

その後、2013年の1月にお会いした20代と30代の男性に、筆談(ペンや鉛筆を持った本人の手に手を添えて、文字を書くのを支える方法。介添者は力の入らない手を添える程度に手を支える)を試み、その場で会話ができるということがありました。筆談や指談(介添者が指先を支えて指の腹で文字を書く方法)は、重度障害者にもよく使う手法です。

途中から障害を抱える中途障害の方は、元々文字を書いていた経験もあるし、手の筋肉もしっかりしているので、理解しやすい文字をしっかり書けるという特徴があります。その後も何人かの中途障害の方に筆談をする機会がありましたが、ほとんど全員 から言葉が出ます。

筆談や指談は、特殊能力のように思われますが、そんなことはありません。練習をすれば誰でもできるようになるものです。私が受け持っている学生も練習を重ねてできるようになっています。ただ、介添者が恣意的に力を添えないよう、注意深い練習が必要となることは確かですが。

「彼らにも意識があるのだ」ということを理解するのとしないのとでは、大きな違いがあります。事故や病気のため、人生の途中から「何もわからなくなります」と宣言され、家族は絶望の淵に突き落とされます。そうした患者さんから言葉を引き出すと、「意識があるのに『ない』と思わされて、肉親が嘆いている姿が最も辛かった」と皆さん一様に訴えてこられます。

生まれつきの重度障害を持つ子供さんたちの親御さんたちは、それこそ言葉があろうがなかろうが、子どもの存在自体を丸ごと受け入れています。わが子はかけがえのない子供で、その愛情と「(何もわかっていないと思われているが)この子はわかっている」という確信は揺るぎのないものなのです。

いま改めて昨年起こった津久井やまゆり園の事件について考えてみると、「あの人たちは可哀そうな存在」ではなかったのだということがわかります。意志もなく、ただ生きているだけの存在ではなかったのです。

彼らには一人ひとり、豊かな言葉の世界があって、人生についても深い思いを抱えて生きています。そのことを、ひとりでも多くの人に理解していただきたいと願っています。そして、障害を持つ人たちが孤立せず、社会の一員として認めてもらえる世界を私たちは作っていかなければなりません。

柴田保之(しばた・やすゆき)
1958年大分県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を卒業後、同大学大学院を経て、1987年より國學院大學に勤務、現在に至る。専門は重度・重複障害児の教育の実践的研究。著書に『みんな言葉を持っていた』(オクムラ書店)、『沈黙を越えて』(萬書房)などがある。
(田中響子=取材・構成)
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