ビルが示したソニーの過去・現在と未来

銀座ソニーパークプロジェクトの模型。現在(左)、第1期ソニーパーク(中)、第2期ソニービル(右)。

今、ソニービルでは、これまでのソニー製品70年、ソニービル50年の歴史を振り返るIt's a Sony展が開催されている。昨年11月12日から開催されたPart-1は製品の歩みがテーマだ。1階から階上に向かって年代別に製品が展示されている。そしてその最後にはソニーパーク構想が示され、来場者に今後のソニーに対する理解を求める展示構成になっている。そこには言うまでもなく、ソニーの過去・現在と未来との継続性を訴える意図がある。

このPart-1は1月24日までの73日間で、75万人の来場者を記録したという。ただ、この展示をながめながら改めてひとつ気がついたことがある。

展示された製品のひとつひとつを食い入るようにながめている多くの来場者の姿を見るにつけ、今さらながらに、独創的な製品の持っている人を惹きつける“力”の効果を思い知らされる、ということだ。そうした独創的な力を持った製品を継続的に生み出すことが、そのメーカーの力として蓄積される。ソニーはそうした企業の一社だろう。逆説的に表現すれば、ショールームという物理的な空間があるという単純な理由でここに人が訪れるのではない。自分たちを魅了してくれる製品を目当てに集まるのだ。

その典型的な例が、1962年のニューヨーク五番街のショールームだ。彼らのお目当ては5インチという小型のポータブルテレビという世界初の製品だった。ソニービルの場合で言えば、開業2年後に発売されたトリニトロンカラーテレビであり、あるいは初の家庭用VTRベータマックス(1975年)であり、ウォークマン(1979年)などソニーから次々に繰り出される独創的な製品の数々だった。Part-1の来場者75万人もこうした過去と無縁ではないだろう。

確かに、ソニーは娯楽と金融の分野を加え経営的に三本の柱を持ってはいる。とはいえ、あえて偏見を交えて言えば、もし、“ソニーらしい”独創的な製品に数寄屋橋交差点の角でお目にかかれないと思われてしまえば、ソニーがつくりだそうと計画している独創的な空間が持つ魅力は大幅に衰えてしまうことだけは間違いないだろう。永野は言う。

「ソニービルが最終目的地である必要はないんです。通り道でも構いません。しかし人々に“行ってみたい”と思わせるところであり続けたいのです」

そのためには、銀座という公共の空間と渾然一体となり、新しいソニービルと銀座の双方が相乗効果を発揮してその魅力で人々を惹きつけなければならない。したがって、ソニービルとして忘れてはならないのは、ソニーの出自はあくまで独創的製品を生み出すメーカーであり、この軸をはずして新しいソニービルの魅力は生まれない、ということではないか。逆にそれが現実に貫かれれば、まさにソニーらしい空間が2022年に数寄屋橋交差点の角に生まれることになるのではないか。

その意味で、新しいソニービルの構想が具体化していくそのオープンなプロセスが“都市の公共的建築物創造の革新”になれば、それこそがこれから先50年間にわたるソニーの生きざまの原点となるだろう。その意味で、このソニービルプロジェクトの成否は、今後のソニーの経営や製品開発に大きくかかわっている。

(文中敬称略)

(宮本喜一写真)
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