実学における「主体の精神」とは何か

つまり、諭吉の関心は、物理学の何たるかを知る以上に、その知の底流にあってその知自体を生み出すに至った「人間精神のあり方」にあった。端的に言えば、わが国では、「東洋的な道を説く精神」が伝統的に重視されてきたのだが、それとは真逆の性質をもった精神、つまり「物理学を生む精神」に着目したのである。

そもそも、物理学は、環境に対する自らの主体性を自覚して初めて生まれてくる学問。当時は、「神や天の定めが宇宙・万物を創り、その恩恵の中に人と社会がある。社会秩序に対する規範もそれに則ったものである」という<道>についての理解が支配的だった。「上に天、下に地があるが如く、社会にも位階があり、それを遵守することが人の道」という教えが定着していた。

そんな社会で、物理学は生まれない。環境に対峙する主体性を自覚した精神があって初めて、「規範」から「法則」が切り離され、「道理」の支配から「物理」を解放するのだ。

諭吉は言う。「物ありて然る後に倫あるなり。臆断をもって先ず物の倫を説き、其の論に由て物理を害するなかれ」(『文明論之概略』巻之一)と。道理から物理を引き出すというそれまでの日本の<道>の論理を厳しく戒めたのである。諭吉の革命性は、いわば「ニュートンの物理学が生まれるためには、デカルトの知が必要なのだ」ということを見通した点にある。

しかして、主体的精神とは何か。それは、「環境に働きかける精神」にほかならない。「何ほどおごりかざるとも、農人は農人、町人は町人にて等の超えらるるものに非ず」という世界では、環境への順応だけが強調される。自己に与えられた環境から乖離しないことがすなわち、現実的な生活態度であった。そして、その時代において言われるところの実学とは、そうした保守的な生活態度の習得だったのだ。

それを諭吉は批判する。「人生の働きには際限あるべからず」「人の精神の発達するは限りあることなし。造化の仕掛けには定則あらざるはなし。無限精神を以て有定の理を窮め……」(『文明論之概略』巻之三)と述べる。その批判を丸山眞男流に言い直せば、「(環境の)法則は、単なる客体からの経験の受動的な享受の内に生み出されるのではなく、(中略)主体が『実験』を以て積極的に客体を再構成して行く処に成り立つ。近代的な『経験』概念はかかるモメントを含み、従ってまた過去的なものよりはむしろ未来的な展望を含んでいる」と(『福沢諭吉の哲学』60ページ)。

ここでは、環境に順応する受動的な精神ではなく、環境を主体的に再構成する「主体の精神」が強調される。諭吉が説く<実学>の思想が革命的思想であった理由がここにある。そして諭吉は自ら、「つねに原理によって行動し、日常生活を絶えず予測と計画に基づいて律し、試行錯誤を通じて無限に新しき生活領域を開拓していく奮闘的人間~の育成を志した」のである(『福沢諭吉の哲学』61ページ)。「状況の命じるがままに、それに順応する」、従順な精神ではなく、「新しい試みの中で状況を切り開く」能動的な精神。諭吉の言わんとしたことはここにある。

基礎学力を育てる訓練が大事でないとは言わない。だが、それよりもっと大事なことがある。それを諭吉は、<実学>という概念に要約した。その主張をあらためて要約すると表の通りである。

状況への順応を是とする社会。そこに閉塞した精神。それを目の当たりにした諭吉は、<実学>精神を提唱し、「状況に流されない、自律した精神」と、「状況を再構成し創造する力」こそが次代を担うと考えた。

諭吉の実学論は奥が深く汲み出すべき叡智は多い。その叡智を背景に、福沢諭吉なら、近時の学力重視・訓練型教育の大合唱を、どう見るだろうか。「さらに閉塞した精神を生み出すだけではないか」と言われはしないだろうか。

(平良 徹=図版作成)