裁判はドラマである。被告人、検察官、弁護士、裁判長……彼らの言動や立ち居振る舞いに、人生と人間の本質がにじみ出る。長年、裁判傍聴をフィールドワークとし、『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』『裁判長!これで執行猶予は甘くないすか』などを上梓している北尾トロ氏がお届けする、明日ビジネスに使える裁判スキルコラム!
裁判官に学ぶべきは、「立ち位置」と「キャラの完成度」
車の運転により人を死傷させる行為は、現在では自動車運転過失致死傷罪が適用されているが、かつては業務上過失致死傷罪に含まれていた。どんな事件かと傍聴に行き、検察官の起訴状朗読で交通事故の裁判だと判明するのだが、そのたびにやるせない気持ちにさせられたものだ。
飲酒運転や、歩道に乗り上げて歩行者をはねるなどの、あってはならない事故は厳しく裁かれるべきだし、そのつもりで傍聴することもできる。
しかし、死亡事故の原因は加害者(被告人)が100%悪いケースばかりではない。場合によっては加害者も不運というか、同情を禁じえないこともある。
自動車運転過失致死傷罪が他の多くの事件と違うのは、悪意が存在しないことだ。加害者は被害者と面識さえない場合がほとんど。誰だって事故を起こそうとして運転しているはずはなく、家へ帰る途中だったり、通勤途上だったりする。そんな日常が、つぎの瞬間こなごなになってしまう。それは被害者についても同じ。途中退席することすら気が引け、傍聴者はいたたまれない気分で終了を待つばかりだ。
そういう事件であっても、裁判官は冷静に審理を進める。示談は成立しているか。どれくらいの比率で加害者に非があるのか。いくつかの要素を確認し、悪質だとする検察の主張から情状酌量部分を引き算して判決を言い渡す。刑務所に入ることになっても人生はそれで終わりではないと被告人を励ますことも忘れない。判決後、双方の家族が涙にくれるのも定番の光景だ。
傍聴を始めた頃は、何があってもブレない裁判官の姿勢に、メンタルの強さを感じていた。でも、いまは違う。裁判官は法律という絶対的な後ろ盾があり、事件の内容を法律に照らし合わせることで判決を導き出している。情状酌量の部分もたいていは機械的。判決について、被告人に同情すべき点があるとしても、“求刑の7掛けが量刑の相場”と言われるように、だいたいは予想通りの結果に落ち着く。事件や裁判官によって判決に大きな差があったら混乱必至なので、個人的感情を脇に置き、淡々と判決を言い渡すのである。裁判官が見せるこうした安定感はビジネスマン社会でも参考にしたいところだ。
テレビドラマの主人公じゃあるまいし、常に正しいジャッジを下すスーパー上司になれというのではない。学ぶべき点は立ち位置が変わらない点。キャラの完成度の高さである。
傍聴時にいつも思うのは、一部のマニアを除き、傍聴人は裁判官のキャリアや名前など気にしないだろうということ。彼らが見るのは法衣を着た裁判官という職業の人であって、個人ではないのだ。それくらい、裁判官には“公正、頭脳明晰、真面目”といったイメージが定着しており、一般市民も裁判官に対してなんとなくの信頼感を抱いている。
不祥事などで、警察官や医師がかつての信頼感を失った今でも、裁判官に対する“高潔なエリート”のイメージは変わっていないだろう。個々の人格が消えてしまうくらい強烈な肩書きだ。