フードスタイリスト
マロンさん

1959年、長崎県生まれ、佐賀県唐津市育ち。大阪・あべの辻調理師専門学校を卒業し、料理研究家とインテリアスタイリストに師事した後、日本初のフードスタイリストとして独立。あらゆるメディアでおいしい料理と料理の楽しさを発信している。歌でもライブを開くなど幅広い分野で活動中。
 

料理に目覚めたのは小学生のときね。「世界の料理ショー」というテレビ番組が大好きで、司会のグラハム・カーのようにテレビの中のキッチンで料理をする自分を想像していたんです。

雑誌デビューは1983年。当時は料理研究家がつくった料理を、編集者が用意した器に盛るのが慣例で、僕のように料理をつくってレシピを出して、器や周りの小物まで用意するという人はいなかった。日本初よ。フードスタイリストという呼び名も、僕が海外のテレビで見つけたんです。

80年代といえば、バブル絶頂期でしょ。雑誌がどんどん創刊されて、とにかく忙しかった。食器のリース屋さんもないから、ショップを回って買ったり、借りたり。経費も余裕があって、丁寧につくり込むことができたんです。

自分で言うのもなんだけれど、僕のレシピは、わかりやすくて期待通りのおいしさとよく言われます。今は簡単な料理が喜ばれるけれど、一つ二つ手間をかけることも大切だと思う。この形、この厚さに切るからこそ、見た目が美しくなり、おいしさにつながる。そういうポイントはきちんと伝えていきたいですね。

外で食べたり飲んだりもよくしますよ。それも仕事のうち。「庭」は体に優しい料理で、器選びのセンスもいい。こぢんまりとした一軒家はアジアンリゾート風で、不思議と落ち着く。「Base(バーゼ)」は、手打ちパスタの指導が本業だから、通常はパスタ一品だけ。それがものすごくおいしいの。店主の河村(耕作)さんの真っ直ぐな人柄も魅力的で、つい足が向くんです。

50代になって考えるのは、後の世代にどうつなげていくかということですね。それもあって、地方でイベントをしたり、子供のための味覚教室で講師をしたり。この前は小学校で味覚の授業もしたんですよ。

これからやってみたいことの一つは、子供向けの絵本づくり。味覚レッスンの教材にもできるでしょ。レストランのプロデュースもしてみたいわね。器は僕がセレクトして、料理のレシピはシェフと一緒に考える。あとは歌。僕ね、シャンソンを歌うんです。今年の12月には、食と音楽のライブイベントを開く予定なんですよ。料理と同じで、歌も自分の表現の一つよね。

フードスタイリストは一生続けていきますよ。時代が変わっても、ずっと輝いていたいわね。