仕事には慣れよ、悲しみには慣れるな

ティアでは葬儀の前に遺族と打ち合わせて、故人の趣味や好きだったこと、あるいは遺族の故人に対する想いなどをじっくりと聞き取る。その上で、葬儀に活かし、遺族の心を癒やすのである。

例えば、故人が琴や三味線教室の先生であれば、弟子たちに故人の好きだった曲を演奏してもらったり、故人が毎朝通っていた喫茶店があると聞けば、その店のモーニングセットを仏前に供えることもある。ある社員は、母を亡くした喪主の悲しみがあまりに深く思えたので、「お母様への想いを手紙に書いて納棺してはどうですか」と提案した。遺族の心に寄り添っていなければ、簡単に言える言葉ではない。こうした社員の心配りに感動し、遺族は「ありがとう」と感謝の言葉を贈り、社員もそれに喜びを感じる。

冨安自身が社員に感動したことがある。

冨安の友人が若くしてガンで亡くなったときのことだ。ティアで葬儀を取り仕切ったが、担当の社員は、その友人がバイク好きで、イタリア製の大型高級バイク「ドゥカティ」を大事にしていたことを知った。その社員は、葬儀で故人に愛車を見せてあげようと思い立ったが、バイクのカギが見つからず動かすことができなかった。何しろ大型だから、簡単に持ち上げることもできない。遺族も「お気持ちだけで、そこまでしなくていいですよ」と言ってくれた。

普通ならあきらめるところだろうが、その社員はトラックを借り、必死にバイクを積み込んで葬儀会館へ運び、故人は愛車に見守られて出棺することができた。遺族は喜び、冨安もそのことに涙を流した。

「給料やボーナスが上がるわけでもないのに、そこまでやってくれた社員の気持ちがうれしかった。それは創業2年目のことでしたが、自分の想いを社員が分かってくれていると思うと共に、人を育てることの喜びをかみしめました」

だが、次第に葬儀会館が増え、社員も増えてくると、会社の理念や冨安の考え方が浸透しにくくなってきた。

「『仕事には慣れよ、悲しみには慣れるな』と言い続け、お客様の心に寄り添うという想いを社員全員に共有してもらいたいのに、同業他社からの転職者は、この考え方、やり方に馴染むことができませんでした。自分本位のやり方が身に染みつき、若い人に教えるのにも、ティアの理念はおろか、基本さえも無視して自分流のやり方を教えてしまう。このままではティアはダメになると思いました」

冨安は、こうした社員1人ひとりと面談し、ティアのやり方を実践しようとする社員しかいらない、分かってくれと説得した。だが、葬儀社経験の長いベテランほど受け入れなかった。当時の幹部は「きれい事を言っても、素人にちゃんとした葬儀などできない」と言い残して辞めていった。

こうして、未経験者だけが残ったが、逆に平均年齢も29歳と若返り、ティアイズムが浸透していった。このときから、冨安は社員こそ宝であり、「人材」ではなく、「人財」と呼ぶようになった。