死を目前にして、自らの棺を見つめる
継之助は、自分の生命というものを何事かを成し遂げるための一個の道具にすぎないと客体化していました。北越戦争で受けた傷がもとで死を目前にした継之助は下僕に棺をつくらせ、庭に火を焚かせて、その様子を終夜、病床から見つめ続けたといいます。俗っぽい欲とは無縁な、そんな無心な状態で生きられたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
入院前の私は出世欲や野心も人一倍ありました。しかし、どん底を味わったおかげで、「一度死んだ命」と自分を客体化できるようになった。だから、いいと思ったことは上司に何でも提言でき、そこから道が大きく拓けたように思います。
今、私には3つの座右の銘があります。一つは「有言実行」。日本では「不言実行」が美徳とされますが、これは「実はそう思っていた」と後でいくらでもエクスキューズできるように思う。だから私の場合は「有言実行」。誰かに「これをやる」と宣言することで退路を断つのです。
二つは「限界状態」。人間は怠惰な生き物ですから、追い込まれなければ爆発的な力を発揮することはできません。私の場合は病気がきっかけになりましたが、そうそう入院するわけにもいきませんから、自分を限界へ追い込む手段として「有言実行」を心がけるのです。そして、三つ目は、「誠心誠意」。私を捨てて心を尽くすことです。
河井継之助の生き様はまさにこの言葉に集約されているように思うのです。継之助は若い頃から長岡藩家老になると公言して実現させた「有言実行」の人であり、いつでも真剣勝負の「限界状態」に生きた人であり、公に尽くす気持ちに一点の曇りもない「誠心誠意」の人でした。
今、幕末と同じような大転換期にあって、国家や社会、あるいは会社という組織体を後世に受け渡してゆくためにどうするべきかが真剣に問われています。私自身、石油業界の経営者や経団連の副会長として、その立場から世界を見据え、日本という国のために何ができるのかを、発言し、行動し続けなければならない。
時に一企業にとって都合が悪いようなこともあるかもしれませんが、そんな気持ちは捨てて臨む覚悟が必要でしょう。そこで生じた極限状態を誠心誠意の努力で乗り越えてゆく。そんな繰り返しこそが、人も企業も国も大きく成長させてくれるに違いありません。