戦前生まれで洒落っ気皆無の親が常々口にする「もったいない」を美徳として育った。第一次オイルショック時に連呼されたセツヤクというお題目を、小学生だった筆者は何の疑いもなく受け容れた。菓子の空き箱、チビた鉛筆、裏が白い広告紙……「そのうち何かで使うかもしれない」ものを喜々としてストックした。当時は世間的に指弾されていた「モノを浪費する若者・子供」とは違う自分を、けっこうイケてると思い込んでいた。
今も自宅には「そのうち何かで使うかもしれない」古書や古雑誌が山と積まれている。整理整頓を唱える奥様のお言葉は、夫の所有物全般をことごとく嫌悪する妻族の習性と解釈し、意に介さなかった。「捨てられないオレ」を、けっこう可愛げがあるとさえ思っていた。
それが実はかなりよくない状況であることに気付いたのはごく最近、とりわけプレジデント最新号の特集「実家の大問題」の取材においてであった。
実家の片付けには、どえらいエネルギーが必要――それがここ数年で一般にもずいぶんと認知されてきた。筆者は最新号においてまさにこの「片づけ」問題を担当したのだが、取材を通じて驚愕したのは、何とか片付けようと腐心する子と、それに頑強に抵抗する老親との間の、感情むき出しの「世代間闘争」。双方のコミュニケーションを妨げるネックの一つが、「何かに使うかもしれないから」とっておく老親の習癖だった。
よかれと信じて疑わなかった価値観がバッサリ否定されるのは衝撃である。見境なくモノをとっておくというのは、美徳というより愛着が高じた歪なフェチなのでは……そんな疑念すら湧いてきた。しかも特集記事の趣旨からすれば、筆者は親の片付けを先導すべき立場にある。なのに、これでは先導どころか周回遅れである。このままでは数十年後のわが子との闘争を、今から覚悟しなければならないのだ。
まあ、そんな筆者の事情はさておき、老親との「片づけ」闘争を乗り切るノウハウも含めた「実家の大問題」を解くカギを、最新号はたっぷりと詰め込んでいる。書店やコンビニでぜひ手に取って、今夏のお盆休みにご実家で役立てていただきたい。
※なお、同日発売で弊誌とよく似たカタカナ6文字の雑誌でも、まったく同じタイトル名で特集が組まれている。これは偶然である。が、たとえ書棚で隣り合わせになっていようと、弊誌名「プレジデント」をゆめゆめお間違えなきよう、切にお願い申し上げる。